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2006年1月26日・星川さんは請われてグリーンピースジャパン事務局長に就任なさったとのことです。
2011527・一部追加――追加の部分は青字にしてあります。




           星川氏への手紙

 前略 「地球生命圏」ならびに「ガイアの時代」、興味深く読ませていただきま
した。また教えられるところ多々ありました。それにつきましての感想なり私の考
えなりをお聴きいただきたく筆を執りました。しばらくお耳をお貸し下さいますよ
うお願い申し上げます。

 さて私は、大地の女神の肌にカサブタを生じさせるという彼女に最も嫌われそう
な仕事、──ビルなど建設現場の作業に従事している、当年五十二歳の名もなき小
市民です。足に地下足袋、頭にヘルメットといういでたちで日々単純な肉体労働に
汗している私は恥ずかしながら教養の「き」の字も持ち合わせておりません。

 しかしどういうわけか若い頃より「全生命は一つのもの」というガイア的発想が
芽生え、時とともにそれは徐々に大きく育ってまいりました。そして今は、(ラヴ
ロックは強く否定していますが)人類はガイアの体内に発生した癌のようなもので
はないか,という悲観的な思いに至っております。

 もとより私のような「無学浅才の輩」の描く女神像など、ラヴロックのを画家の
手になる細密な肖像画とすれば、稚拙な幼児のそれに過ぎません。が、「正統思想
とは自分の思想のことであり、異端思想とは他人の思想のことである。」(チェス
タトン)の至言どおり、私もまたその愚を犯している──即ち自分の考えに「信
念」に近いものを抱いている者です。それで、その慢性便秘気味に頭に詰まってい
る「正統思想」を何とか「排泄」したい,──文字に表すなり、人に話を聴いても
らうなりしたい,と思い続けてきたのですが、その努力もせぬまま、また機会にも
恵まれぬまま、今に至っております。

 しかし、ここに星川さんという強力な「仲間」(と呼ばせていただくのは、余り
にも僣越で失礼!)を見つけ、甚だご迷惑ながら私の「便秘治療」に一役買ってい
だだきたいと思い至った次第です。

 もとより私如き者が星川さんに対して己のガイア観を披瀝させていただくなどと
は、それこそ「釈迦に説法」の非礼を犯すことになるのは百も承知しているのです
が、ここはひとつ忍耐と寛容をもって最後までおつき合いのほどよろしくお願い申
し上げます。

 先ず(認めたくないのですが)認めておかねばならないことがあります。それ
は、私のガイア観は、一種の「信仰」だということです。人は信仰なしでは生きら
れないといいますが,徹底した無神論者のはずの私もまたその「法則」から逃れら
れないのを認めないわけにはいきません。

 私には星川さんのように、ガイアを「体で感じた」経験もありませんし、いわん
やラヴロックのように豊富な知識をフル動員し、科学的論証によりその「ヴェール
を剥ぐ(いやヴェールの内を覗かせてもらう)」などという真似は千年生きたとし
ても無理でしょう。私はただ乏しい断片的知識を無理やりつなぎ合わせ、ガイア像
を無意識のうちに「捏造」してきたに過ぎないといえます。

 信仰者がそうであるように、私もまた次元の低い強固な信念を抱いているのは、
ある意味では危険なことと自覚しております。「信念」という車を走らすために
は「疑念」というブレーキ(ラヴロック流にいえば負のフィードバックになりま
すか。)が装備されていなければ、「思想的暴走」してしまう危険があります。
しかし、私の頭の中で走る車にそれが正常に動作しているかと問われれば、「イエ
ス」と答える自信はありません。

 さて、私がガイアをうすうす感じだしたのは単純な身近な事例からだったように
記憶しています。鳥や魚の群れに見られる、急激な方向転換などみごとにシンクロ
した動きをみていると、群れ全体があたかも「一匹の生き物」のように感じられま
した。蟻のコロニーなどにも「全体で一匹」を見る思いがしました。また、ボル
ボックスという原始微生物が集団を形成し、まさに「一匹の生き物」に変身してし
まうという話などは、私のガイア観を膨らませるのに大きな力となりました。

 引力のように余りにも普遍的な現象であり過ぎて逆に見逃しがちなのですが、何
よりも虫一匹といえどもその構造そのものが、無数の役割分担された細胞の「有機
的集合体」ということにも、ミニガイア的なものを見ないわけにはいきません。

 また人間の作るあらゆる組織──特に宗教教団や国家には、パターンはそっくり
でもその実ガイアとは似ても似つかぬ醜怪で凶悪な「モンスター」を感じてまいり
ました。兎と狐の関係、共生、棲み分け、生物ピラミッドなどの概念の彼方にも、
ガイアの姿がおぼろげながらも浮かんでくるような気がしてきました。

 私はまた次のような事がらからもガイア(の働き)を感じてまいりました。それ
はガイアの健康──「多様性」と「調和」を乱すもの、つまり「増え過ぎるもの」
に対するガイアの反撃(生理的反応)──レミングの「自殺的」大移動,戦争や伝
染病による何ともやりきれない人類の「人口調節」。

 星川さんも触れられているように、エイズという「生殖」にかかわり且つ免疫機
構を破壊するという、実によく考えられた「制癌剤」の投入などにもガイアの働き
(ラヴロックの言葉を借りれば、サイバネティックス,ホメオスタシス?)を見る
思いがしてきました。

 更にまた私は、全く別の角度からも地球生命圏そのものに一つの「精神」、それ
がいい過ぎなら「意識のようなもの」があってもおかしくはないと思っています。
それは次のような類推によります。

 素粒子レベルに視点を置けば、岩や鉄のような密に見える物体の内には宇宙的空
間が広がっているといいます。更にクオークレベルでは、太陽系くらいの広大な空
間にピンポン玉(クオーク)がたった三つあるだけというのが素粒子(例えば陽
子)──つまり「何も存在しない」というのとほとんど同じ意味なのが、「密なる
物」の正体らしいです。(到底感覚の及ばない話ですが、逆に考えればビッグバン
以前の宇宙が「針の先より小さかった」とする絶対信じられない説も認めないわけ
にはいかないのかもしれません。)

 クオークにすれば、我が銀河同様無秩序にばら蒔かれたとしか見えない無数の星
屑(クォークの集団)が、広大無辺の空間のはるか高次のレベルで、果ては人間の
「意識」を生みだすまでの複雑極まる秩序ある有機体、「脳」を構成している,ま
たそのもっともっと高次のレベルでは、銀河の渦巻きを構成しているなどとは、我
々が「針の先より小さい」ことを信じられないのと同じ意味で、信じられないこと
でしょう。

 こういう考えを延長していくと、この地球上に数知れぬ幾多幾種の生命体が、高
次レベルで実は一つの有機体、あるいは「反応系」を構成している,もっと大胆に
いえば、一つの「生き物」,もっと感情をたかぶらせていえば、「精神」があると
いっても「天の掟」を破ることにはならないのではないか,少なくとも脳内のクォ
ークよりも、地表の我々の方がそういう捉え方がはるかに容易な立場にあるのでは
ないか,などと考えております。

何せ、素粒子内のクォークをピンポン玉とすれば、すぐ隣のクォークに出会おう
にも多分木星より遠方まで移動しなければならないのに比べ、我々のスケールでは
地表の最遠地といえども、地球の裏側に過ぎないのですから。(SF的発想を逞し
くすれば、このさしわたし何百億光年とも知れぬ大宇宙も、超々大巨人の耳垢に過
ぎないのかもしれません。)

 次に、私なりに考えているガイアの「本性」について述べさせていただきます。

 誰かがかつて「人間とは(ミミズのような)一本の管である」と表現していまし
たが、それに倣って生命の本性を超単純化して表せば、「増えようとするもの」の
一言ですむような気がします。ダムの水は「落ちたいな~」と思っていますし、ア
ドバルーンは「空に昇っていきたいな~」と思っています。同様に命あるものには
等しく「増えたいな~」というポテンシャルがかかっているように思えてなりませ
ん。

生まれたばかりのガイアは造物主の声を聞いたことでしょう。

 「産めよ、増えよ、地に滿てよ。」

 また決意したことでしょう。

 「造物主様より授かりし宇宙至宝のこの命,絶やすわけにはいかぬ。万難を排し
何が何でも増えて増えて増えまくらん。」

 そして風船の中の空気分子が脱出口を求めてそのあらゆる表面に瞬時も途絶える
ことなく猛烈なぶちかましをかけているように、ありとあらゆる可能性に向かっ
て、がむしゃらに、やみくもに、盲滅法に、目茶苦茶に、狂ったように、手段を選
ばず、大失敗を繰り返しつつ、次第次第に「ちょとやそっとのことでは絶対死なな
い」屈強な肉体を作り上げてきた,といえるのかもしれません。(このことが生物
学者のいう「多様性によるより安定した遺伝子プールの構築に向けてのプロセス」
のように思えるのですが?)

 生命が「絶対起こり得ない奇跡」によって誕生したこと,また特にこの異常とも
いえる「増えんとするする意志」をガイアにみるとき、大宇宙に「命」の存在する
のは我が地球上だけではないか,という気がしてきます。カール・セーガンのいう
ように、宇宙には生命が充満しているとはとても思えないのです。高名な分子生物
学者の木村資生博士も(推論に至るプロセスは私などとは比較になりませんが)、
その研究を通して私と同様の思いを「生命進化を考える」(岩波新書)の中で述べて
おられました。

 くどくなりますが、とりとめのない妄想をもう少し続けさせてください。

 ガイアには野望があるのかもしれません。「地球の表面だけではもう限界だ。ひ
とつ人類に知恵を授けて宇宙あまねくこの命の種を蒔かせてみよう。」

 女王陛下のお墨付きを与えられた海賊よろしく、人類は「我が行いは正当なり」
と「正義感に燃えて」略奪の限りを尽くし、ガイアもまた苦々しく思いつつも己が
野望達成のため「大目に見ている」のかもしれません。

 しかしその策謀は現代に至って大失敗に終わろうとしている(?)──増え過ぎ
た人類の貪欲な「食欲」と、その強烈な毒素の「排泄物」によりガイアが「重体」
(?)に陥っているのですから。いやもしかすると大成功しかかっているのかもし
れません。火星探査機がすでに降り立ったのですから。

 しかし、たとえガイアの意志だとしても、ラブックの推奨する(ついでながら先
の木村博士も熱心な惑星移住推進論者。)生命の惑星移植案には反対票を投ずるつ
もりです。「食う者と食われる者」という流血、苦痛、恐怖を伴うことでしか維持
できないような生命システムを地球外に移植するなど「悲劇の輸出」に他ならず、
ましてや人間が住みつくなど「癌の宇宙的転移」であり、絶対阻止すべきだと考え
ております。

 余り想像したくないことですが、ひょっとすると結果的には人類は「女王陛下」
の命お護りする「最強の兵士」としての役割を担うことになるのかもしれません。
ラヴロックも触れていますが、いつの日か他天体が彼女めがけて破滅的体当たりを
かけてきたとき、核ミサイルか何かでそれを蹴散らせるのは、人類をおいてはない
でしょうから。


                 中 略


 繰り返しますが、命あるもの総て「増えたいなあ~」という「行動原理」に従っ
ていると思われます。しかし、唯一の例外を除いて総ての種は無制限に増えようと
はしていません。(増えたくとも増えられないといった方が正確でしょう。)

 もし生物界が「増殖競争勝ち抜き合戦」であれば、アッという間に最強者がトー
ナメントを勝ち上り、兎を食い尽くした狐同様、それ自身も滅んでしまうことにな
り、生物界はとうの昔に消滅していることでしょう。恰も、培養基という特殊環境
下に置かれ無制限の増殖を許されたバイ菌の運命のように。(その気になればペス
ト菌が地上を支配することもできたはずです。?)

 しかるに「閉鎖系」であるにもかかわらず、この地球環境に何百万という途方も
ない数の生物種が存在するという厳然たる事実,──「自然選択」「適者生存」に
よりふるいにかけられてきた種も数知れぬとはいえ、また気候の大変動や微惑星の
衝突などにより「不慮の事故死」をしてしまった種も数知れぬとはいえ、増殖の原
理によって互いに「滅ぼし合い」することなく共存(弱肉強食も共存の一形態とい
えましょう)しているという奇跡的事実こそ、生物学者たちが指摘する、生命の歴
史は「多様性増大」の歴史でもあるということを如実に物語っているのでしょう。

 受精卵が個体に至る信じがたいプロセスが、まさに多様性増大の歴史を凝縮した
ものであるのは多くの人の共感するところです。ラヴロックも繰り返し多様性の豊
かさ、安定,単相の貧しさ、危うさを説いています。

 ずっと以前に教育テレビの科学番組の中で毛虫の生態について実験していまし
た。ある種の毛虫の集団をよく観察すると、「活発型」と「のろま型」がある。そ
こで人為的に二つのグループに分けて別々のガラス箱に入れてみる。すると、どち
らのグループも目の前の餌を食べようとはしない(食べられない)。活発型は餌に
見向きもせず八方へ散りぢりになり、のろま型はダンゴ状に集まったままじっとし
て餌をたべようとはしないのです。

 この事実を見せられ私はハタと手を打つ思いでした。毛虫のようなものにも立派
な「個性」があり、立派な「多様性」(というよりむしろ「相補性」。)による、
より安定した「社会」を構成しているのを思い知らされました。

 この関係を生命界に投影拡大してみれば、なるほど「増殖競争勝ち抜き合戦によ
る滅ぼし合い」などしないわけです。多種多様な生き物が「相補的に」共存するの
は奇跡的では全くなく、ガイアが安定成長するために選んだ必然の、また最良の方
法だったようです。

 しかしこの生命圏が一見「弱肉強食」の世界にみえて、その実安定した「共存共
栄」の世界であることについて考えますと、単に「多様性による必然」という一言
だけでは包括しきれない「何か」があるように思われてなりません。

 兎も狐もガイアの本性「増えんとする意志」を受け継いで「我こそはこの野原を
支配せん。」と互いにしのぎを削っていますが、いかんせん「一方の勝利は」は
「双方の敗北」を意味しますから、互いに土俵上でガップリ四つに組んだまま、
「倒されないように」「倒してしまわないように」精一杯バランスを保って、結果
的に「共存」(もう一言加えれば「共栄」)していかざるを得ないのでしょう。

 そしてこの「力のせめぎ合い」と同時に、結果的であれ「共存していこう」とす
る相矛盾した働きこそが、バクテリアから植物動物に至るまで莫大な種の間に複雑
精妙に作用している普遍的な「力」,そしてそれら総てを「切っても切れない関
係」つまり「有機的」に結びつけている力のように思えます。

 磁場の概念を借用すれば「生命場」,──磁場に撒かれた鉄粉が「ランダムには
散らばれない」ように、生命場にある生物種もいやがおうでもその磁力線の支配下
に置かれされざるを得ない,つまり自由気儘に振る舞えない,狐は兎を食い尽くす
ことができない,ということになるでしょう。「縄張り」「共生」「棲み分け」
「生物ピラミッド」などの概念は、限定的な生命場のように思われますが、地球が
巨大な「磁場」であるように、地球規模の壮大な生命場こそ当然ながらガイアに違
いありません。

 熱が「熱素」という「実体」ではなく分子の「状態」であるように、ガイアもま
た「生命場」という「状態」──大胆に飛躍していえば、我々が「脳細胞の皺の刻
み具合」という「状態」によって「精神」を持っているように、ガイアもまた莫大
な生物種という「脳細胞」の皺の刻み具合,つまり生物種の複雑な存在のあり方に
より「精神を持っている」とは考えられないでしょうか。(この考え方は、他の私
の考え同様、余りにも観念的に過ぎますが、「幼稚な仮説」とご理解下さい。)

 ところで、我々は「弱肉強食」における「強者」は、その語感からして「優位」
と同義語に捉えていますが、エネルギー消費の観点に立てば、弱者と強者は対等,
いやむしろ弱者の方が優位に立っていると思います。

 「弱者(の消費エネルギー)×固体数>強者(の消費エネルギー)×固体数」と
いう不等式が成り立っているのは、生物ピラミッドが如実に示しているように思わ
れます。

 弱者は多数という「実」を得、強者は少数派に甘んじるかわりに「名」をとって
いるようにも見えます。とすれば、生物界の王者はピラミッドの最低辺を支えてい
るもの(それが植物なのかバクテリアなのかは私には判りませんが)といえるのか
もしれません。

 「大型動物のおもな役割は、彼らに嫌気性環境を提供することかもしれない。」
というリン・マーギュリス女史の指摘に、私はハッとしました。なるほど手足を
失っても死なないように、魚が、鳥が、人が絶滅しても、ガイアは死なないでしょ
うが、バクテリア(嫌気性バクテリア?)の絶滅はガイアの死を意味するのは間違
いないと思われます。

 さて先に述べた、「無制限に増えようとする唯一の例外」,人類について、私は
はじめに、「癌のようなもの」と申しましたが、ガイアのコントロールを「知力」
によって振り切り、ダムの決壊のように増殖への「歯止め」を失ってしまったこと
をいったわけです。

 癌は生体のコントロール系に関係するものではなく、細胞遺伝子の狂いによるも
のといいますから、ラヴロックのいう通り、なるほど私のいう癌は癌ではありませ
ん。

 しかし、他の生物種と共に人類という種も、「ガイアの体を構成している細胞の
一つ」であるという視点に立てば、核兵器に象徴される、「異常頭脳」という自然
界を破滅させかねない、まさに「狂った遺伝子」を受け継いでいる細胞,という意
味で、人類はやはりガイアにとっては「癌」であるように思われてなりません。

 思うに、ガイアは人類の発生した当初からその「脳の肥大化傾向」による危険性
をいち早く察知し、

 「このまま放置すれば大変なことになってしまう。ここはひとつ、互いに殺し合
わせることにより、その増殖を押え込んでしまおう。」 と奸計を企んだに違いあ
りません。

 初めの頃は人類も、やすやすとその術中にはまるほど馬鹿ではありませんから、
なるだけ衝突を避け「空き家探し」に精力を傾けたのではないかと想像します。
が、やがて絶海の孤島は言うに及ばず、北極の氷の上まで塞がってしまう事態に
至ってしまい、なおかつジワジワと増殖の圧力が加わってくると、遂にはガイアよ
り授かった「伝家の宝刀」を抜かざるを得なくなってしまった――殺し合いによる
間引きを始めたと推測します。(「神の御名」「聖戦」「正義」などという、どう
にも理解を絶する「錦の御旗」を掲げて戦争するのは、「ガイアの命じるところ」
と解釈すれば、なるほどまさに全く完璧な「大義名分」です。)

 それでもますます発達してくる知の力によって農耕を身につけると、更に増殖に
拍車がかかり、殺し合いによる間引きだけではもはや適正レベルを維持できなく
なってしまったことでしょう。そこで「これはヤバイ」と感じたガイアは、ペス
ト、コレラ、マラリア、天然痘、狂犬病、チフス、猩紅熱、赤痢、結核、ジフテリ
ア、癩、etc……。よくもまあこれだけ思いついたものだとあきれるほど多彩な
「魔法の弾丸」を機銃掃射して「増え過ぎるもの」を必死になって抑え込んできた
ようにみえます。(こうしてみると、ガイアは余程人類の増え過ぎを恐れ警戒して
いたのに違いありません。)

 「涙ぐましい」ガイアの不断の努力により、ともかくもまあ何とか「大発生」だ
けは食い止めるのに成功してきました。しかし、とうとうガイアの恐れが現実とな
る日がやってきました。壺に封じ込めた「増殖分子」は極く最近に至って物凄い爆
発──「知力爆発」を起しガイアにより押え込まれていた蓋を猛烈にはね飛ばして
しまったのです。後はもうダムの決壊と同じです。あれよあれよという間に十億が
二十億に、二十億が三十億に、三十億が六十億にと「大爆発」。そして「集団相」
によってビンビンギラギラに「活性化」してしまったバッタならぬ人類の「岩をも
食らう恐ろしいまでの食欲」に、たちまちガイアの体は食い荒らされていきます。
のみならず、その強烈な毒素の排泄により、ガイアはもう息も絶えだえの重体に
陥ってしまったのです。

 核兵器が最悪の兵器であるのは勿論です。但し、大規模な戦争をしにくくなった,という
意味で。伝染病と並んで最も効果的な「人口調節」である大規模戦争という手段を使えない
となればどういうことになるか、想像するまでもありません。しかも医学という「抗体」を
獲得した今は、「伝染病」でさへ効果がない? 呆れ果てるのは、どこかの国なんか「出産
奨励金」まで用意していること。

 「人口過剰」(それに伴う消費過剰)。──今地球上に起こっているあらゆる「諸
悪」──絶えざる民族、国家紛争,大量殺戮,大気汚染,海洋汚染,土壌汚染,森
林破壊,砂漠化,干ばつ,異常気象,飢餓,種の絶滅。身近なところでは、精神
病,オカルト宗教,イジメ,自殺,家庭内暴力。エイズ、エボラ出血熱、狂牛病と
いった新たな病の発生,政治、経済問題や大震災の被害でさえ!。一々取り上げて
いたら、「項目」だけで百科事典になってしまうほど莫大な問題の発生しているの
は、ひとえに「人間の数が多過ぎることが根源」であると断じても間違いないと思
います。(逆に考えれば、もし草原のライオンのように、人口が完全に自然の「適
正レベル」であったとすれば、問題列挙のその百科事典は全くの「白紙」になって
しまうかもしれません。)

 人口過剰が「諸悪の根源」であることを認めるならば、次のような目茶苦茶な、
身の毛のよだつ、そら恐ろしい逆説が成り立たざるを得ないのではないでしょう
か。

 人口増加に手を貸してきた者たち──ニュートンやアインシュタイン、ハイゼン
ベルクをはじめとするあらゆる科学的天才、発明家、あるいは「ヒューマニス
ト」たち、なかでも、パスツール、コッホ、その他「ヒポクラテスの弟子」たちは
最強の「悪魔の戦士」。

 人口削減に貢献してきた者たち──ジンギスカン、ヒトラー、ポルポドといった
「大量殺戮者」たちは「悪魔の使者」どころか「ガイアの使者」である。(サリン
の麻原彰晃も成功していれば、ミニ天使として崇めなければなりません。)


 とはいうものの、もう一つ”深読み”して”逆説の逆説”も考えられます。『戦
後のベビブーム』と言われるように、戦争、殺戮により一時的人口減少したように
見えても、それがより以上の人口増を招くことにつながることを思え
ば、「結果と
して」やはりヒトラーなどは、正真正銘の悪魔の戦士といえるのかも知れません。
そしてそう考えるほうがより正しいのでしょう。加えて戦争は科学技術の飛躍発展
をもたらすわけですから、ガイアには癌細胞そのものの人類増殖にもいっそうの拍
車がかかることになり
ます。

 星川さんも、ラヴロックも「ガイアの繁栄と人類の繁栄は必ずしも一致しな
い。」という意味のことを(遠慮がちに?)述べておられますが、私はこのように
過激に「真っ向から対立するもの」と考えております。

 しかし!──しかしです。ここに、たった一つだけ両者の繁栄を同時に成り立た
せる道が残されているとも考えています。せっかく獲得してきた、絶対手放したく
ない素晴らしい「知恵による豊かさ」を、上のように「全面否定」するのではな
く「全面肯定」可能な方法です。(私の「発見」した解決法などと、とりたててい
うほどのことではありません。誰でも「先刻御承知」です。)


 と、ここまで再読していて気付いたのですが、「絶対手放したくない知恵による豊かさ」
と書いていますが、その知恵さへ手放さなければならないのかもしれません。
E=mc² 
量子力学も、電気もガスも、車もビフテキもテレビも携帯も何もかも、キレイさっぱり放棄
忘却しなければならないのかもしれません。つまり石器時代以前に逆戻り!――それは絶対
無理ですから、いづれ早晩、ジ・メ・ツ・・・・・

 それは子供の算術で答のはじき出せる、実に簡単な問題として表せます。(しか
し命あるものには最大のタブーに抵触するが故に、その解答は極めて困難な、ある
いはほとんど不可能な問題。)

 小学生への「応用問題」──「ここに八人の子供がいて八個のお菓子がありま
す。一人二個ずつ分けて、四個残しておくにはどうすればよいでしょう。」

 「みんなが今より四倍豊かに暮らし、なおかつ自然への負担を四分の一に抑える
方法を示せ。」としても子供は答を間違うことはないでしょう。

 我々は希望を持つべきです。但し「個」としてはプラス方向へ、「種」としては
マイナス方向へ(人類としてダイエットするという「希望」)。我々は今の十倍も
豊かになっても許されると思います。但し我々の人数を百分の一に減らすという条
件で。それが達成できればガイアは少しは安堵するかも知れません。何せ、身にの
しかかる重荷が十分の一に軽減されるのですから。

 有限閉鎖系において「個」も「種」も繁栄させようというのは、論理的に成り立
ちません。また一歩退いて、「人口増加を抑制」しつつ繁栄を求む,というのでも
問題解決にはなりません。繁栄を望むなら、あくまでも人口削減が絶対条件です。

 繁栄を「多数」ではなく「生物界の上位に立つもの」と定義してみれば、生物ピ
ラミッドが如実に「自然の摂理」を物語っています。もしシマウマよりライオン
の,鰯より鯨の数が「多数」であればどういうことになるのか。──結末はシマウ
マでさえ解っているでしょう。

 我々はまさにその「鰯より多数の鯨」という超反自然的存在であるが故に、その
異常な知力を正常な知力に矯正できない限り、やがては地球生命圏を食い尽くさず
にはおかないのは明白です。
赤字部分について。 これも今ごろやっと気付いたのですが、そもそも知力に
「正常」も「異常」も区別があるのでしょうか?

 ガイアは死にます。いや死なないまでも、グッピーも極楽鳥もイルカもキリンも
パンダもコアラも何もいない、おまけに花も咲かない、バクテリアとカビとゴキブ
リだけのミイラのような実に貧相で醜悪な姿になってしまいます。

 我々が生物界の「玉座」を死守したいのであれば、自然の摂理に従うべきです。
すなわち、我々の人数を減らすべきです。無理というなら、「万物の霊長」などと
いう思い上がった「尊称」は、即刻ドブにでも捨てなければなりません。代わって
我々に与えられるべき「蔑称」は、「獅子身中の虫」が最もふさわしいのではない
でしょうか。

誰だったか忘れましたが、ある高名な医学者が、こんなことを言っておりました。『日本の
人口が減少しているのは、必然的生理反応であって、決して人間が「意識」して「調節」し
ているわけではない。』―
―だとすれば、「増殖の原理」に反することですから、あり得な
いほど物凄い奇跡的反応だと言えます。そのことからもう一つ踏み込んでいえば、ヨーロッ
パなどでは日本と同様、人口減少が起こっているみたいですから、先進国特有の現象のよう
に見えても、それがやがてはアフリカ、南アジアなどにも「伝染」していって百億に達する
前に減少に転ずるのかもしれません。その場合、精子が減ずるとか、排卵の不調とかの内分
泌系の変化であって、決して「正常」な反応ではないでしょう。
―いや、それこそ「奇跡
的」どころか、正常も正常、「
大正常! な反応なのかもしれません。


 ところで、ガイアの健康を損ねることなく,即ちその自然治癒力を侵さない範囲
(ギリギリいっぱいではなく、二、三歩,いや四、五歩手前――人類以外の生物は
家畜を除けば、十歩のうち十歩手前にいます。)で、我々が繁栄を謳歌するための
「適正人口レベル」を考えてみるのも無意味ではないと思います。

 もちろんそれは「一人当たりのエネルギー消費量」の設定次第で指数関数的に変
わってきますが、繁栄の持続発展(人口の逓減)という希望を持つために、目標を
仮に「現在のアメリカ人の二倍のエネルギー消費量」という贅沢な設定にしてみま
しょう。コンピュータに入力すべきデータは現時点でもある程度は揃っているで
しょうから、誰かにぜひ答をはじき出してもらいたいものです。

 私には多く見積もっても「億」の桁には達しないように思われます。願望として
はその条件であれば、余裕をみて全地球上の適正レベルは一千万人くらいで十分と
思います。「人間滅亡教」の教祖、深沢七郎が「東京の人口は五十人くらいでよ
い。」といっていたのを思い出しますが、その考えを拝借すれば、一千万(東京の
人口)分の五十,すなわち二十万分の一になりますから、地球人口を百億と多めに
見積もって計算しても、その二十万分の一,たった五万人でよいということになり
ます。

 実際考えてみれば、ライオンの何百何千倍ものエネルギーを消費し、なおかつそ
れを増やしたがっている人類は、「十歩手前」すなわち「完全自然適正レベル」に
徹するなら、そのくらいがちょうどなのかも知れません。ライオンの密度を全地表
に広げて頭数を割り出し、その数の更に何百何千分の一が完全自然適正レベルです
から、その答はいったいどれくらいになるのでしょうか。

注 最近(この手紙から7年後)読んだ「宇宙人としての生き方」(松井孝典著・岩波新書)
  によれば、私のいう「完全自然適正レベル」は、
                        500万程度
                   とありました。


 しかし上の想定では、今の時点で、地球資源や環境がどれくらい「余力」を残し
ているのかは考慮していません。従って人口を「ゆっくりと減らす」ことで繁栄を
維持可能なのかどうか,或は直ちに地球規模で「一人っ子政策」を実行しなくては
「アメリカ人の二倍のエネルギー消費量」など望むべくもないのかどうか,は別問
題です。(私の感じでは、「一人っ子」ではなく、「四分の一っ子」か、もしくは
我々の消費エネルギーを四分の一に抑えつつ、「一人っ子政策」を実現するかのど
ちらかでないと、到底「間に合わない」ような気がしています。)

 我々が今「最重要課題」として最優先でしかも直ちに取り組むべきは、如何にし
てカタストロフィーという「惨劇」を伴うことなくスムーズに人口削減を実現する
か,また人口削減により発生してくると予想される様々な問題に対しての解決法
を、人智の総力を結集して探る,ということではないでしょうか。(物凄く多岐に
わたる困難が待ち受けているに違いありませんが、真っ先に思い浮かぶのは、産婦
人科医やオモチャ屋が困ること。)それに関わらないあらゆる哲学、思想、政策、
議論は、それが「人間中心の価値観」という呪縛から解き放たれない限り、極論す
れば、無意味、無価値、空理空論、いや「悪の論理」以外の何物でもないと断じて
も過言ではないでしょう。万一有効とみられる方策があっても、それはあくまで一
時しのぎの「対症療法」に過ぎず、人類のまたガイアの抱える難病の「根本治療」
には決して至らないと思われます。

 と申して来てはみたものの、何とも残念ながら「人口削減」は生き物の「増殖の
原理」に真っ向から背反してしまう故に、星川さんのおっしゃる「リアリティー」
のある解決法とはほど遠い話には違いありません。最も現実的問題であらねばなら
ない「人口削減」が最も「非現実的問題」であるというこの「現実」に、何ともや
りきれない苛立ち絶望を禁じ得ません。

 最もリアリティーのある解決法(?)として私が思い浮べてしまうのは、「成り
行きに任せるしかない」ということです。人口爆発も消費爆発もいずれ限界に達す
るのは子供の目にも明らかです。にもかかわらず「景気を後退させよう」と叫ぶ選
挙候補者が誰一人として現れない現状をみれば、また仮にそう訴える候補者が現れ
たとしても落選確実であるのを思えば、「行くところまで行くしかない」と諦観せ
ざるを得ません。

 だからといって、人々が盲目的で愚昧であるというつもりはありません。皆「こ
のまま進めばヤバイことになる」と分っていても「ペダルを漕ぐのを止めたら倒れ
てしまうから、壁にぶち当たることになろうが、崖から転落してしまうことになろ
うが、先のことになどかまっている余裕はない。」というのが正直なところなので
しょう。(かくいう私もその例外ではありません) (この「慣性の法則」から逃
れられないことにこそ人類文明というものの深刻な「救い難さ」を感じてしまうの
です。)

 ことここに至っても「急ブレーキ」をかけられないとすれば、いずれ近い将来
「ノアの大洪水」によって人類が「大掃除」いや「大駆除」される予感がしま
す。――核戦争によるのか、伝染病の大流行によるのか、はたまた想像もできない
反攻作戦をガイアが準備しているのかはわかりませんが、人類史上空前絶後のカタ
ストロフィーが引き起こされることは十分予測されます。私は超常現象など信ずる
ものではありませんが、こういう思いを巡らす時、「ノストラダムスの大予言」も
「ハルマゲドン」も何かしら不気味に現実味を帯びてきます。

 私は毎日大渋滞のなかを通勤しているのですが、ときおり車の洪水の真っ只中で
「時代の狂気」のようなものを感じ、言い知れぬ恐怖に襲われ、思わず身震いし逃
げ出したい衝動に駆られることがあります。

 南極の氷にDDT、ヒマラヤの雪に鉛、太平洋の真ん中に廃油ボール、大深海の
底にビニール袋というような報告に接すると、逃げ場のない絶望感に襲われます。
また、肌に粟を生むおぞましさを感じます。

 飛び降りたい!――ブレーキはおろかハンドルもなく、ただアクセルだけがいっ
ぱいに踏み込まれた、文明号という狂気の「暴走バス」から飛び降りたい!――そ
んな思いにもう長いあいだ取り憑かれております。(降りようにも降りられない情
けなさ!)

 しかし、時々頭を冷やして考え直すこともあります。文明に対する私のこの恐怖
を含んだ不安は、ただ私の弱い神経の過剰反応に過ぎないのではないか,と。

 正直なところ私は社会的には最下位に属する、技術も地位も財産も教養も信用さ
えもない、極めつけの不適応者であることを自覚しています。(謙譲でいっている
のでなく情けないことに紛れもない事実です。)

 私は、集団相の真っ只中にありながら活性化に失敗した、のろまな「孤独相」の
バッタに違いありません。もし私が適応者であれば、ガイアになど思いが及ぶこと
もなかったのかもしれません。

 またあるときは、ひょっとして自分は一種の神経症にかかっているのではない
か,とも自問することもあります。(たぶんそれが正解なのでしょう。)

 一方ではしかし、「私をしてガイアがそう感じさしめているのではないか」とな
どという、とんでもない妄念が頭をかすめることもあるのを「白状」します。

 なにぶん知的環境外にいる私は、一年ほど前手に入れた岩波ジュニア文庫「地球
の未来はショッキング」の中の「ヒナギク星」と題した記事を読むまでは、「ガイ
ア」という、まさに「コレダッ!」と手を打ちたくなるほどにピッタリな「固有名
詞」の存在さえ知りませんでした。

 また恐ろしいまでの「井の蛙」である私は、ラヴロックの著作によるまでは、多
くの人が、ガイアを感じ思いを巡らしているなどとは、全く思いもよらないことで
した。(何とも「穴があったら入りたい」気持ちです。)

 ともあれ、星川さんはじめ多くの「仲間」「同志」(加えてもらえるのか問題で
すが)が存在することを知ったのは、極めて大きな励ましであり喜びでした。


 以上長々と、とりとめのない妄言戯言を弄んでまいりましたが、私のガイア観は
お解りのように、星川さんがいみじくもご指摘になっている通り、まさに「直感を
一足飛びに事実にしてしまう詩的・隠喩的で、ある種前近代的な感性」から生まれ
たものに過ぎず、何等実際的意味を持つものではありません。空理空論の極みとも
いえましょう。それを承知でこのような長文の手紙を差し上げたのは、ひとえに、
今まで私の頭の中から一歩も出ることのなかった「ガイアへの思い」を「聞いても
らいたい」という一心からに他なりません。ターゲットに選ばれた星川さんこそ
「いい迷惑」に違いありませんがしかし私は、星川さんこそ唯一無二の「最良の
聞き手」(話し相手は他には誰一人いません。)と信じこのような非礼を敢えて犯
した次第です。なにとぞご勘弁願います。

 

 では非礼を重ねてお詫びしつつこれで失礼します。   草々

 1996年11月4日  星川 淳様
                                            
                             吉川 善雄 
  

     


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