凶悪な犯罪人と云っても大米竜雲程な者も少なからう。 私も永年の看守で何万とない犯罪者にも接したが、大米竜 雲ほどズブトイ悪党は、全く始めてだった。
強盗、強姦、殺人、放火といふ罪悪の中でも最も憎むべき 犯罪を悉く一身に背負った、この真言宗の坊主崩れである 大米竜雲といふ男こそ、神仏の恐れを知らない悪人の見本 として生れて来たやうな悪党だった。
しかし、その代わりまたコヤツほど糞度胸のいい男も珍し かったであらう。
この大米竜雲といふ男は全国をマタにして尼寺にばかり押 し込んで、尼さんを陵辱してから、金品を強奪し、更に犯 跡を覆ふために絞殺放火して逃げるといふ残虐の限りを尽 くしたのだ。その同じ手口の被害が各県に頻々としてある ので、警察も躍起となって全国的に手配して犯人の捜査に 懸命になってゐたが、悪運が強いのか、中々捕まらなかっ た。
ところが、いつか帝都に潜入してゐたらしい犯人が、何処 かの尼寺で強奪した袈裟を、麻布あたりの古着屋に売った のが手懸りとなって、たうたう悪運尽きて御用になったの がこの大米竜雲だった。
骨組のがっちりとした、見るからに頑丈な男で、大きな 羅漢頭をして、その割に小さな金壷眼(かなつぼまなこ) をぎらぎらといつも異様に光らしてゐたが、しかし、口許 のあたりには、人を小馬鹿にしたやうなせせら笑ひを浮べ てゐた。
一審は勿論死刑だった。判決が終ってから、裁判長がジッ と見詰めるやうにしながら、
「この裁判に不服だったら、五日以内になら控訴すること が出来るから」
と云ふと、大米竜雲はフンと小馬鹿にしたやうな顔付で、 ニベもなく答へたものだ。
面倒臭えから、きっぱりやって貰ひやせうぜ
「不服はないのかね。覚悟は出来てゐるのかね」
さすがに裁判長の言葉には死刑囚に対するいたはりがあ ったが、大米竜雲はいつものせせら笑ひのやうな表情を口 辺に見せて、
なアに早く死刑になった方がさっぱりして、ようがさア
大凡、こんな不敵な男だったが、刑務所内でも、これ程 てこずらされた男はなかった。態度が倣岸で、人を人とも 思ってゐないのだから、係官には楯つくし、教誨師のいふ 事などはテンで馬鹿にして聞いてはゐなかった。
あっしも前身は真言宗の坊主でさア。お前さんの云ひなさ るやうなコタア子供の時分から、耳にタコの出来るほど聞 いてまさア。今更そんなお説教を聞いて有難いと思う位な ら、盗賊も人殺もしませんやね。そんなお説教は他の奴に 聞かしておやんなせい。
かう云って、それからは教誨師の呼出しが行ってもテコ でも出て来なかった。そして、呼出しに行った係官に食ひ つくやうに云ふのだった。
うるさい坊主だな。行かねエッたら行かねエから。それで も無理にって云ひやがんなら、行って坊主の野郎、足腰の 立たねえ位打ちのめしてくれるからさう云っておくんなせ い。担当さん。
思想犯とか特別の犯人は別だが、普通、死刑囚は独房に 入れてある訳ではない。ムシロ反対に他の被告達と一緒に 雑居房に入れてあるのだ。
と云ふのは、独房へ一人で入れて置くと、死刑の判決で絶 望した被告が自殺を企てたりする恐れがあるからだった。 どうせ死刑になるんだから、自殺したってよさそうなもの の、やはり刑の執行迄は、官としては責任上さうは行かな いのだから、厄介なものだ。
それで死刑囚は独房に一人で入れておくより、他の人目も 始終ある訳だから、雑居房へ入れて置く方が安心なのであ る。
ところで大米竜雲だ。彼も雑居房へ入れてあったが、困 った事が起って来た。といふのは、大米竜雲が、同居の者 への
差入れ弁当や差入れの菓子を、誰のであらうと、 遠慮会釈もなく
片っ端から無断で食っちまふ
と云ふのだ。何しろ相手は凶悪無比な死刑囚と来てゐるの で、胸の中で憤慨しても口に出して不平を云いきる者がな いのをいい事にして、特権のやうに、人の弁当や菓子を食 ってゐたのだった。
中には、あんまりなその傍若無人さに我慢がしきれなくな って、ぶつぶつ云ふ者があると、大米竜雲はせせら笑って 一喝する。
おい、おい、何をぶつぶつ云ってやがんだい。こちとらは もうじきブランコになる人間様だ。こんな弁当の五本や十 本黙ってこちらに奉ってもいいんだ。それをぶつぶつぬか しやガンなら、おい、行きがけの駄賃だ、なんならテメエもひ
とつ・・・
これで皆参ってしまふ。実際、相手は極刑の死刑囚なのだ から、どんな乱暴をしたって、もうそれ以上の刑をきるこ ことはない。なまじっか怒らせて、夜中にでもぐっとやら れたらそれっきりだ・・・
まさかそんな事もやるまいが、何となく薄気味が悪い。そ れで誰も黙ってゐたが、その薄気味の悪い事情を所内から 家庭への音信の中に細々と書いたものがあって、それが書 信検閲の係の方から分ったものだから、その儘にしては置 けないと云ふので、大米竜雲を独房へ移してしまった。す ると、すっかりむくれてしまって飯を食はなゐのだ。
「おい、どうして飯を食はないんだね」
担当の看守がなだめるやうに訊ねると、大米竜雲は睨めつ けるやうな眼をして、ぷりぷりして答えた。
担当さん。こちとらはもう直き傘の台がなくなるのですぜ。 傘の台が。
こんな腐ったやうな麦飯の官弁を食って 死なれるかってんだアッ!
そして、どうしても食はない。しまひには配給の官弁を足 蹴にしたり、係り官に抵抗して乱暴を働いたりして、駄々 っ子のやうに叫ぶのだ。
パンを食わせ。パンを。パンを買って来いッ! ビスケットを持って来いッ!
娑婆の名残りに、せめて人並の物を食って死にたいと云 ふのだろうが、然し、刑務所として囚人に特別の弁当や菓 子を買って食はしてやるといふ訳には行かない。それに大 米竜雲が金でも持ってゐるなら、その金ででも買ってやれ るといふ便宜もあるが、所持金は最早ないし、勿論、外部 から差入れてやるような親戚もなかった。
よしんば縁戚があったとしても、こんな不敵な凶賊を縁戚 に持つ事を恥ぢて面会にすら来なかったであらう。とはい ふものの、もう死刑も確定して、近日には絞首台の露と消 へる人間だ。官にも涙なきに非ず、何とかしてこの死刑囚
の希望を叶へてやる方法はないかと、上司でも大分いろ いろと相談されたらしいが、その結果窮余の一策、うまい 事を考へついたのだ。
それは死刑になった後、死体を大学で解剖に附託する代わ り、死体料として三十円を前金で貰ふのだ。この名案を事 情を述べて大学の方でも前金で渡すことを承諾してくれた し、大米竜雲もすっかり悦に入ってしまった。
へ、へ、へ。担当さん。三十円だね。間違ひはねえな?
「間違ひなんかあるもんか」
売りやせう。生きてる間にテメエの死体を売って、その銭で食 ふなんて、面白えや。だけど、こちとら明日が日でもブランコ になるかも知れねえんだから、取引はお早くお願ひしますぜ。
こんな訳で大米竜雲はその翌日からは、一食二十五銭の 差入れ弁当も食へるようになったし、パンでもビスケット でも購入出来るやうになってほくほくだった。
私が巡視の時、「どうだい、弁当の食ひ味は?」
と云ってからかふとフフフフと笑ってゐたが、急にいつも に似合わず、しんみり、しんみり云った言葉は
今もなお私の心に刻まれたやうに
残ってゐる。
だがな担当さん、何だかかう考えて見るてえと、
てめえの身体を テメエで食ってる
やうで妙な気もしまさア
さて、司法大臣からの命令があって、いよいよ死刑執行
の朝だった。監房から何気ない様子を作って連れ出した私 を大米竜雲はヂロリと横目で見て、
到頭、来やがったか!
と独り語のやうに云って、草履をつッかけながら
と笑った。
その刹那、私の方が心臓の底迄ドキリとして
魂が氷ってしまった やうな気がした
部長室へ連れて来ると竜雲は会釈もせず、のそりと黙 って部長の前に突っ立った。
部長が型のやうに、
「司法大臣の命令に依って唯今より死刑を執行する」
と申し渡すと、例のフフンと小馬鹿にしたやうなせせら笑 ひを浮べて、
宜しく頼んますぜ
とぶっきら棒に云ってから、そこにゐた係官をヂロリと見 渡すやうにしたが、その特徴のある金壷眼には、
これっぽっちの
もないやうだった。
むしろ憤ってでもゐるやうに、不気味にぎらぎら光ってゐ た。絞首台の方へ歩いて行く様子も平気なものだった。
その大胆不敵さには、私達も思はず黙って顔を見合せた。
大米竜雲は供物の饅頭も平気でむしゃむしゃと食って、茶 もがぶがぶ飲んでしまふと、煙草を一本吸わせてくれと云 ひ出した。
死土産に一本吸わせてくれたっていいぢゃねえか!
仕様がないので、相談して特に二本許す事になって、火を 点けて煙草を与へると、如何にもうまさうにぷかりぷかり 落着いて吹かしてゐたが、三分の二ばかり吸うと、急に抛 り棄てて、
永えこと永えこと吸わねえもんだから 畜生! 頭がクラクラしやがらア。 さあ、やって貰はうか
係り官が目隠しをしようとすると、大米竜雲は頭を振っ て牛のように吠えた。
止せやいッ!クタばっちまヘば、 どうせ見えねえんだアッ!
あくまでも承知しないので目隠しなし。時間は来た――
|