春の祭典について


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ストラビンスキーが「春の祭典」を手がけたのは

ある怪異な幻影を見たことがきっかけだとご本人がゆうたはります。

それは原始の儀式の場面で

車座になった長老達の真ん中で生贄に捧げられる若い娘

踊り狂いながら死んでいくというもんやったそうでっせ。

(本人の弁にはないのですが、察するにその娘は恐らく裸で恍惚の境にあったでしょう。)

確かに、そういうオドロオドロしたグロテスクな

(しかし泉鏡花のよう
に陰湿ではなく快活な)雰囲気に全編あふれていて、恰も

魔界に展開される巨大な原色の絵巻物

を見る思いがしますんやわ。





初演については余りにも有名なエピソーが残っていますので

ご存じの方も多いのちゃいまっしゃろか。


1913年パリでの初演はそれはもう大パニックを巻き起こしたそうでおます。

序曲の数小節がはじまっただけでたちまち嘲笑が沸き起こり

やがてそれは物凄いブーイングに発展し

劇場内は割れんばかりになったそうでっせ。


無理もおまへんわなあ。それまで音楽とは

人間の歓びや苦悩の純化された宝石のように美しい結晶

であると誰もが疑いようもない大前提としていたところへ

突如それに真っ向から挑戦するアンチ・テーゼ


鼻先へ突きつけられたんでっさかいねえ。


例えばインセストタブー(殺人、人肉食、近親相姦など)を

賛美し実践する者が現れれば


我々は身の毛のよだつオゾマシサを感ずるに違いありませんが

丁度それに似た感覚をパリの聴衆が抱いたとしても

それは自然すぎるほど自然どすわなあ。


かのサン・サーンス大先生でさえ後の公演の際

こんなものは音楽ではない

と憤然と途中で席を蹴ったといいます。

ところがどうでしょう。

今では現代音楽の最高傑作と讚えられ

そのファ
ンを世界中にゴマンと獲得するに至ったのですから

オソロシイもんでんなあ。時の流れとは!!




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