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しりいず
死とはなにか





 エピクロスの見解




 「死の謎」につきましては、古来多くの賢人哲人宗教家たちが思索を巡らせ
てまいりました。しかし私メといたしましては「
霊魂説」はアタマから否定し
ておりますれば、ここは唯物論的観点から対照的なお二方の主張─―偉大なる
孔子様とギリシャの哲人エピクロス殿のご意見に耳を傾けてみることにいたし
ましょう。(お二人とも紀元前を遡ること何百年の古い古い御仁。)

 まずは孔子様のご意見。

 
子曰く君子何々”式の名調子は忘れてしまいましたので、現代語に大意を
翻訳して孔子様の「
」についてのお考えをご紹介いたします。

 ある時ある人が聖人孔子に訊ねました。

 
「死とはいったい如何なるものでありまショウヤ?。」

 子答えて曰く

 
私は未だに生についてもよく理解できてオリマヘン。じゃによって死につ
て語れるわけないやおまへんヤンカイサ。
(イヤナコトキキヤガルまったく、コノ
オタンコナスメガ!)

 ずるがしこい孔子様。うまいこと逃げたものであります。単に
「ソンナノむ
つかしゅうてヨウワカラン。」
と答えるのはさすがにプライドが許さんかった
んでっしゃろロネ。

 この
屁のツッパリにもならない孔子様の逃げ口上に比べ、哲人エピクロス殿
のお言葉は大いに極めて非常にスコブルタイヘンモノスゴク傾聴に値いするも
のであります。

我々の存在する時死は存在しない。
死の存在する時
もはや我々は存在しない。


 意味ワカリマッケ、ネエサン。ナニッ「ソンナコトアタリマエジャナイ。
ショウガクセイニモワカルワヨ。バカニシナイデ。オコルワヨ。」


ですと。ハハァ〜〜ン、ソノコタエカタ、サテハサテハ



 この言葉、単に字面だけの意味しかないものなら二千年を越えて人類歴史に
残るわけがおまへんやナイカ!そうでっしゃろ、オネエサマ。モウひとたびジ
ックリ考えてみておくんなはれ。

 
「・・・・ヤッパリヨウワカラヘンワ。」ヤテ? アホヤナア。感心するワ。

 ヨシッ!こうなったらこのワタクシぼーやがワカリヤスウ噛みくだいて説明
明してやるさかい、
ミミノアカカッポジイテヨオクキクンダゾバカイヤカシコ
イクリスチャン。


我々の存在する時 死は存在しない。

 とは要するに、「生きているトキは死んではいない。(つまり生きているト
キは生きている。)ということでオマス。
「アッタリマエジャン。」などとヌ
カサントまあお聞き下さいマセ、我輩のユウことを。

 もしここに変わり者がオッテ、
「死んだらドナイナルンヤロ?。ヨッシッ!
コノ俺様が確かめテヤル!」
と、果敢にも喉首カキキッテ死にヨッタとしたら
ドナイなことになるんでっしゃロネ。

の存する時俺様はもはや存在しない

 ということになってしまうのであるのでアリマス。わかりマッカ、おねーちゃん。

 つまり
「死んだらドナイナルンカ」を確認しようにも、

いま俺様は死んでイルンダ。

ホウ、ナルホド死とはコンナモノだったンダ!

 と死を認識する主体、すなわち俺様が死んでしまって存在しないわけであ
りますからして確認しようがオまへんがな。

早い話がワタクシタチは

死を体験したくともできない

無理。絶対不可能なのでアリマス。

ということはツマリ!・・・・ ソウ、ワタクシタチには

死は存在しない。死はあり得ないこと

なのでございますよ。もっといえば、

死にたくとも死ねない

のでゴザイマス。


 ワタクシメの
人生唯一最大の希望、すなわちいつの日かシネルは何とも
残念ながらゼッタイ叶わぬ望みなのでゴザイマス。

 ちなみに
快楽主義者の称号を与えられているエピクロス先生
 
「ワレワレには生きることのみ与えられている。死というありもしない幻
影に怯えることなく精一杯〔生を謳歌〕しようではないか。」


 と説いたのでゴザイマシタ。

 わかってクレハリましたヤロカ、オネエサマ。

 「わかったような気もするけど、そのリクツやっぱりヘンジャナイ。だっ
てアタシのオトウサンもオカアサンも
んじゃってイナイケド、それがどう
して
死んではいない、ツマリ生きているッテイエルノヨ。ヤッパリボーヤま
ちがってる。アキレスは亀に追いつけないというゼノンの詭弁と同じヨ。」


 姉さまノ脳みそ、スバラシイボンジンブリデイラッシャルコト。アッ失礼。
実のところ、ここらあたり深く追求イタスト、非常に微妙かつ深遠ナル
哲学的
的解釈問題
に発展することマチガイオマヘン。でありますからシテ、ここはひ
とつ、
二律背反的問題,つまり互いに相矛盾する主張がどちらも正しい,とい
うことにイタシ、両者、つまりエピクロスの主張もお姉様の主張(世間の皆様
の代表)も正解といたし、これ以上の深入りは避けたいと思うのでありますが
イカガナモンでございましょうヤ。

 「ニゲルナンテヒキョウヨ。」
などとお怒りにならないでネ。これ以上議論
を展開いたしマスレバ、姉さまのほうが逃げ出すに決まっとりますからナア。


 閑話休題

 
大慧眼エピクロス先生の時代からもう2千何百年も経っているにもかかわら
ず現代におきましてイマダ
「死後の世界」なるものを信じてラッシャルご仁の
なんとまあ多いことオオイコト。宗教なんかはタイテイそれを売り物にしてラ
シテ、それを買う大馬鹿が、その筋の統計にヨリマスレバ何と地球人口の何倍
もおるらしいのでアリマスヨ。また中には天国極楽行きの切符を、あり金スッ
カリはたいてまで手に入れようとする何ともオメデタイ極みのヤカラもオワシ
マス。

 その極端な見本が、キリシタンたちのオソルベキ信仰心といえまへんヤロカ
ネ。キャツラメ、

   これを踏めば地獄へ堕ちる,踏まざれば天国へ昇れる
と確信し、踏絵を踏まず嬉々として火あぶり熱いチュウナマヤサシイモン
チャイマッセ。)されていったんでゴザいまっせ。

   
「現実の生」を犠牲にして「死後の生」を選択する!

 なんという信念でアリマショウヤ! いやはやもう
タマゲチャイマスヨネエ
実に立派とユウシカゴザリマセヌ。表彰もんでっせコレハ。
生き様コンテスト
(いや死に様コンテストかな。)でグランプリ獲得絶対にまちがいナシ!

 いやいやなるほど、かくも「死」なる「完全消滅」を生理的本能的全面的に
拒否しようとするのが「人間」と申すべきでゴザリましょうネ。

 人間にとりまして"死""完全消滅"はかくも


ものだということなのでゴザイマス。 


次号に続く



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