しりいず
あ | 【5】 ▼ エピクロスの見解 |
あ |
「死の謎」につきましては、古来多くの賢人哲人宗教家たちが思索を巡らせ てまいりました。しかし私メといたしましては「霊魂説」はアタマから否定し ておりますれば、ここは唯物論的観点から対照的なお二方の主張─―偉大なる 孔子様とギリシャの哲人エピクロス殿のご意見に耳を傾けてみることにいたし ましょう。(お二人とも紀元前を遡ること何百年の古い古い御仁。) まずは孔子様のご意見。 ”子曰く君子何々”式の名調子は忘れてしまいましたので、現代語に大意を 翻訳して孔子様の「死」についてのお考えをご紹介いたします。 ある時ある人が聖人孔子に訊ねました。 「死とはいったい如何なるものでありまショウヤ?。」 子答えて曰く 私は未だに生についてもよく理解できてオリマヘン。じゃによって死につい て語れるわけないやおまへんヤンカイサ。(イヤナコトキキヤガルまったく、コノ オタンコナスメガ!) ずるがしこい孔子様。うまいこと逃げたものであります。単に「ソンナノむ つかしゅうてヨウワカラン。」と答えるのはさすがにプライドが許さんかった んでっしゃろロネ。 この屁のツッパリにもならない孔子様の逃げ口上に比べ、哲人エピクロス殿 のお言葉は大いに極めて非常にスコブルタイヘンモノスゴク傾聴に値いするも のであります。 我々の存在する時死は存在しない。 意味ワカリマッケ、ネエサン。ナニッ「ソンナコトアタリマエジャナイ。 ショウガクセイニモワカルワヨ。バカニシナイデ。オコルワヨ。」 |
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ですと。ハハァ〜〜ン、ソノコタエカタ、サテハサテハ |
この言葉、単に字面だけの意味しかないものなら二千年を越えて人類歴史に 残るわけがおまへんやナイカ!そうでっしゃろ、オネエサマ。モウひとたびジ ックリ考えてみておくんなはれ。 「・・・・ヤッパリヨウワカラヘンワ。」ヤテ? アホヤナア。感心するワ。 ヨシッ!こうなったらこのワタクシぼーやがワカリヤスウ噛みくだいて説明 明してやるさかい、ミミノアカカッポジイテヨオクキクンダゾバカイヤカシコ イクリスチャン。 我々の存在する時 死は存在しない。 とは要するに、「生きているトキは死んではいない。(つまり生きているト |
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死の存在する時俺様はもはや存在しない | ||
ということになってしまうのであるのでアリマス。わかりマッカ、おねーちゃん。 つまり「死んだらドナイナルンカ」を確認しようにも、 |
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いま俺様は死んでイルンダ。 ホウ、ナルホド死とはコンナモノだったンダ! |
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と死を認識する主体、すなわち俺様が死んでしまって存在しないわけであ りますからして確認しようがオまへんがな。 |
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早い話がワタクシタチは 死を体験したくともできない 無理。絶対不可能なのでアリマス。 ということはツマリ!・・・・ ソウ、ワタクシタチには 死は存在しない。死はあり得ないこと なのでございますよ。もっといえば、 死にたくとも死ねない のでゴザイマス。 |
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ワタクシメの人生唯一最大の希望、すなわち「いつの日かシネル」は何とも 残念ながらゼッタイ叶わぬ望みなのでゴザイマス。 ちなみに快楽主義者の称号を与えられているエピクロス先生、 「ワレワレには生きることのみ与えられている。死というありもしない幻 影に怯えることなく精一杯〔生を謳歌〕しようではないか。」 と説いたのでゴザイマシタ。 わかってクレハリましたヤロカ、オネエサマ。 「わかったような気もするけど、そのリクツやっぱりヘンジャナイ。だっ てアタシのオトウサンもオカアサンもシんじゃってイナイケド、それがどう して死んではいない、ツマリ生きているッテイエルノヨ。ヤッパリボーヤま ちがってる。アキレスは亀に追いつけないというゼノンの詭弁と同じヨ。」 姉さまノ脳みそ、スバラシイボンジンブリデイラッシャルコト。アッ失礼。 実のところ、ここらあたり深く追求イタスト、非常に微妙かつ深遠ナル哲学的 的解釈問題に発展することマチガイオマヘン。でありますからシテ、ここはひ とつ、二律背反的問題,つまり互いに相矛盾する主張がどちらも正しい,とい うことにイタシ、両者、つまりエピクロスの主張もお姉様の主張(世間の皆様 の代表)も正解といたし、これ以上の深入りは避けたいと思うのでありますが イカガナモンでございましょうヤ。 「ニゲルナンテヒキョウヨ。」などとお怒りにならないでネ。これ以上議論 を展開いたしマスレバ、姉さまのほうが逃げ出すに決まっとりますからナア。 閑話休題 人間にとりまして"死"は"完全消滅"はかくも
ものだということなのでゴザイマス。 |
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