HOME ホンペンへ ロンブン選集へ戻る  次へ




忘 備 録
2010/4/25

偶然と必然

 森羅万象、ことごとく総て偶然にしか生起しない,と仮定すれば、どうでしょう。一方、
逆に総て必然現象だとすれば如何でござりましょや。

 例えば、パチンコで拾った一個が大当たりで何十万儲かったとしましょう。大抵の人
は、奇跡的偶然と狂喜すると思われます。それを元手に宝くじを買いまくったところ、一
等賞に当り何億円を得たとしましょう。もう偶然だとは思えずに神仏の力のおかげだと
思えるに違いありません。(科学者にいわせれば、それでも必然現象とのたまうでしょ
うが)

 

時間の流れ


 「こうした型の犯罪は、もう起こらないような気がしてならない。社会が変わり、生活
が変わり、親子関係が変わったからというより、
人間の心が変わってしまった
というべきか」(大塚公子・死刑囚最後の瞬間)

 ”十年一昔”といいますが、確かに人心は刻々と変わりつつあります。



盲亀浮木


 そもそも我々の存在自体が

↑をクリックすれば動画による説明があります。

すなわち、殆どあり得ない現象でありますからして、偶然も偶然、超大偶然といえま
す。(盲亀とはダンセー器、浮亀とはジョセー器の象徴であることは明白)

 何億というセーシのたったイッピキが卵子に潜りこみに成功して人々が発生したわ
けであります。それが代々(足し算でなく掛け算で)伝わってきた結果、自分というも
のがあるわけです。この”盲亀浮木”は、あらゆる現象に当て嵌まります。

 こうして考えてみると、、宝くじの一等に千回続けて当たったという以上にあり得な
い、超偶然の賜物といえるでしょう。

 一方偶然とは、語義からして”滅多に起こり得ない”ことを意味しますから、そんなこ
とが頻繁に起こるわけがありません。そう考えてみると、森羅万象悉く必然現象であ
る,と結論づけてもよいでしょう。


 例えば、パチンコで拾った一個が大当たりで何十万儲かったとしましょう。大抵の人




超越者について


 もし、偶然にせよ必然にせよ、現象一切がそうであれば、意味とか価値を見出すこと
は不可能になってしまいます。


 例えば、パチンコで拾った一個が大当たりで何十万儲かったとしましょう。大抵の人

 もし、偶然にせよ必然にせよ、現象一切がそうであれば、意味とか価値を見出すこと
は不可能になってしまいます。



 例えば、パチンコで拾った一個が大当たりで何十万儲かったとしましょう。大抵の人

アイディンティティについて


 仮に、今、足元の大地が左右に分かれてまっ逆さまに堕ちこんだとしましょう。その穴
は無限の深さがあり、永遠に堕ちこんでしまうとするのです。

 比喩的にいえば、これこそがアイデンティティの崩壊だと思います。

 あの池田小事件の無差別犯の宅間守についての少し詳しく書かれた本に、筆者の
篠田博之氏が次のように書いておられます。

 
・・・・・・ この倒錯した論理が破綻していることは、恐らく宅間守自身にも自覚はでき
ていたと思う。しかし、無差別殺人という凶行を犯した自分を鼓舞し正当化するにはこう
主張するしかない。自分のアイディンティティが崩壊するのを防ぐためには、こんなふう
に最後まで虚勢を張るしかしかなかったのかもしれない。
 そう考えると、少なくとも宅間守の精神は最後まで崩壊していなかったことがわかる。
無茶苦茶な論理ではあるのだが、そうまでして自分を正当化しないと、自分のやったこ
とがすべて無駄だったことになる。宅間守死刑囚が自ら早期執行を願い、死を望んだの
は、自分の精神が崩壊しかねないことを恐れたからかもしれない。

宅間 守

 アイディンティティとは、このように自分を裏側から支えている、自分を立体的に保って
いる、場合によっては命より大切なもの,ということができるかもしれません。宅間守には
それは”良心”であったような気がしてなりません。プラスの逆はマイナス、S極はN極が
なければ存在しません。早い話が貧乏人がおってこそ金持が存在するということです。

 だからといって、何でもかんでも反対概念をもってくるというのは、アイディンティティの
場合、当て嵌まらないでしょう。それは刻々と変化しているかもしれませんし、個人差や
状況の変化


 最近読んだ本に、村野薫著「日本の死刑」というのがありますが、その中に”大米竜雲
”という大悪党について少し書かれておりました。



 
 追いつめられた彼は、遂に断末魔の絶叫を長く長く引きながら、真逆さま
に地獄めがけて転落していった。

  地獄に?――否そこは地獄ではなかった。

  おお!何という驚異!――そこは純白の蓮花の咲き神々しい雅楽の流れ
来る極楽だった。エンジェルは、可愛い翼をはばたかせ碧空に舞い白衣の天
女達は虹の泉のほとりに唄う天国だった。

 堕ちる不安の全くない、大いなる安心感に満ち満ちた絶対的確信の大地
に、彼は石をも砕く歓喜に慟哭していた。今や彼は一切にへりくだっていた
。一切が無上に美しく思えた。一切を愛さずにはいられなかった。

  「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」

  その道とは、愛とは、神とは、一切の生きとし生けるものの前に、自
分を投げ出す――へりくだること以外の何ものでもない。――彼は
こう悟
った。天国は、極楽は、決して遥か天上にあるのではない。それは実に地獄
の底にあるのを身をもって教えられた

  大峡谷にかけわたされた一条の吊り橋――ゆらゆらと揺れ動く、世に
も危険極まりないガラスの吊り橋を渡っていた彼の盲目の精神は、この時
突然に開眼し、谷底へ――地獄ならぬ神の国へ急落下したのだった。


 未稿


一番上へ HOME ホンペンへ ロンブン選集へ戻る 次へ 



SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu