HOME 戻る





アイントン博士の大発明



( 1 )


 人里遠い高原にポツンとそのドーム状の研究所はあった。

 「やったぞォーッ!! 遂に完成だアッ!」

 人類史上最高の頭脳の持ち主と称えられるアイントン博士は興奮の極みにあった。ここ数年
全身全霊を傾注し開発に没頭してきたウルトラマシンが今まさに完成したのだ。

 広い研究室の一角には巨大なセパレート・ステレオを思わせる形状の装置がデンと据わって
いた。中央部は無数の計器類に埋め尽くされたメイン装置。その左右には高さ2メートル以上
ある縦長の大きなガラスボックス。

 博士は早速試運転に取りかかることにした。あらかじめ用意してあったほぼ同じ重さの小さ
な金塊と石ころを取り上げ、金塊は左の、石ころは右のガラスボックスにセットするとワクワ
クしながらメインスイッチを押した。

 ブーンと鈍い音とともにガラスボックス(どんな高熱にも耐える特殊ガラス)の中の金塊と
石ころはたちまち蒸発したかのように消え失せガラスボックス内は霧のようなモヤモヤで満た
された,と思う間もなくそのモヤモヤがアラジンのランプに吸い込まれるように一点に収束し
たかとみるや元の金塊と石ころに復元したのだ。

 アレッ! 金塊は左のボックスに入れたのではなかったか?!。なのに復元したのは何と右
のボックスではないか! 石ころは左のボックスに。

 博士は実験の完璧な成功に会心の笑みを浮かべた

 「物体相互完全交換機」とでも呼ぶべきこの凄いマシンの原理はこうだ。
 あらゆる物質は陽子、中性子、電子というたった3種類の基本的素粒子により構成されてい
るのは今では子供でも知っている。ウンチも黄金も元をただせば同じということだ。つまり、
ウンチといえどもその構成素粒子の組み合わせ次第で、カレーライスは言うに及ばず、花束に
でもダイアモンドにでもカメラにでも、はたまたネズミや小鳥に変えてしまうことも原理的に
は可能なのである。
この驚くべき装置は、まさにその単純ともいえる原理を実用化したしたも
のなのだ。

 ガラスボックスにセットされた金塊と石ころは、特殊な高エネルギー電磁波の照射により、
それらを構成する全素粒子の組み合わせが瞬時に読み取られる,と同時に素粒子に分解される。
そして読み取られたそれらのデータにより、
金塊を構成していた素粒子により石ころが、石
ころを構成していた素粒子により金塊がそれぞれ合成
され、魔法のようにガラスボックス
を入れ替わって復元したというわけだ。

 ウイスキーと大根,フライパンと座布団,金魚鉢と小型テレビ…といった具合に目茶苦茶な
組合せで博士はまるでオモチャに戯れる幼児さながら、嬉々として手当たり次第装置にかけ、
その相互変換を楽しんだ。とうとう嫌がるペットの猫と犬まで。(徐々に運転速度を高めてい
ったので、猫と犬は見た目にはもはや瞬間に入れ替わっていた。)

 ところが・・・。ところがである。突然博士の顔から血の気がサッと引いた。というのはふと
こんな考えが頭をよぎったからだ。

 「せっかく石ころを金に変えられても、肝心の金が石ころになってしまうのでは元も子
もないではない
か。ゴミの山をどんどんステーキや宝石に変換してしまえる立体コピー機
らいざ知らず、この装置では何も新しいものを生みだせやしない。これじゃ結果的には単にそ
の位置を変えるだけの意味しかないじゃないか。こんな芸当なら下手な手品師でも見せてくれ
るゾッ!――ワシとしたことがなんでこんな馬鹿みたいなことに気付かなかったのか。オオ情
けない、恥かしい。よおし、こんな糞の役にも立たないもの即刻叩き壊しくれるワッ!」

 博士は脱兎のごとく研究所を飛び出したかとおもう間もなく物凄い勢いで大ハンマーを手に
駆け戻って来た。銀髪は逆立ち目は血走っている。ハアハアと肩で息をしながら機械の前に立
ちはだかると、それを大きく振り上げた。

 ところが・・・。再びところがである。まさに振り下ろさんとしたその刹那、博士の脳裏に
ある考えが石火のごとく閃いた。そして口元を不気味にニヤリとゆがめると振り上げた大ハン
マーを静かに降ろしたのだった。



( 2 )


 数日後の夕刻、研究所の一室では3人の初老の紳士が久しぶりの再会に話を弾ませていた。
アイントン博士に招待されたデカンショー氏とゴッホーヴェン氏。何れも極めて高名かつ傑出
した哲学者と画家だった。また互いに敬愛しあう積年の親友でもあった。

 「ところでデカンショー君、君のデカルト信奉ぶりは有名だが、今も変わらずかい?」 

「勿論だとも。あの遠い昔に『我思う故に我在り』の至言を残したのだからな。君なんか特
に実感しているだろうが、この世界、宇宙の謎は科学が発展すればするほど、何と皮肉にも
逆にますます深まっていくばかりだ。矛盾極まる話だが、真理とは
『近付けば近付くほど遠
ざかっていくもの。』
 つまり我々は根底のところでは何も解っちゃいないし解りようもな
いのを認めざるを得ないんじゃないか。」

 「まったくその通り。同感だ。」とアイントン博士は大きく何度もうなずいた。

 見事に禿げ上がったオツムを撫でながらデカンショー氏は続けた。

 「何が何だか解らない中でたった一つ確かなことは、とにかく『今自分が何かを感じ考えて
いる』ってことだよ。幻影か何かさっぱり解らなくとも、少なくとも自分の心の鏡に何かが写
っていることだけは否定しようがない。それを最初に指摘したデカルトはやはり偉大だよ。」

 デカンショー氏は更に続けた。

 「これは古来の謎だが、少なくとも僕にとって僕の五感を通してしか一切を認識できないと
すれば、僕が死ねばそれでも宇宙が存在するといえるのだろうか。『我々の存在するとき死
は存在しない。死の存在するとき我々はもはや存在しない
。』とは、ご存じエピクロスの
名言だが、この恐ろしいまでに深く含蓄するところを僕は再考し、最近ちょっとした悟りを得
たんだ。それは『自分が他の誰でもない自分である』ってことだ。釈尊の『天上天下唯我
独尊
』も似たような悟りの境地から発せられたんじゃないかと思っているんだ。もっとも釈
尊の悟りをずしりと重い金塊だとすれば、僕のは写真に写った金塊に過ぎないのは認めるがね。

 デカンショー氏の「独演」はまだまだ続きそうだったが、博士がここで遮った。

 「ウーン、なるほど。もっともだ。」といいつつ何故か逆に博士は同意できないという風に
かぶりをふりふり、今度はゴッホーヴェン氏に向き直った。

 「話は変るが、世評のとおり君の絵にはベートーヴェンとゴッホが一つになったような力強
い生命感が煮えたぎっているんだが、ここでひとつ『生きる』ってことの意味についてどう感
じ考えているのか聞かせてくれないか。」

 「絵で表現するならともかく、それを言葉にするのは大いに難問だね、アイントン君。そう
だなあ、僕流に言わせてもらえば歴史といえるかな。この世に生を受けて以来の限りない体験
の積み重ねとでもいおうか。その総量の重みとでもいったらよいか。」

 それが癖で、クシャクシャの燃えるような赤毛を掻きむしりながらゴッホーヴェン氏。

 「その『積み重ね』とは、『連続』と言い換えてもいいのかね?」

 「もちろんだとも。連続しているからこそ僕も君も『今』がある。つまり生きている。連続
の途絶えた時,すなわち最初(そして最後でもあるのだが)に訪れる『断絶』がすなわち『死』
と我々が呼ぶものだと言える。」

 「では例えばここに特殊な装置があり、君の死後君と寸分違わぬ人間を合成できたとしよう。
勿論合成人間は君の記憶をもち会話もし君の芸術能力をもっているわけだ。すると僕たちにと
って『画家ゴッホーヴェン』は生きていることになるわけだが、その点『死』の持つ意味はど
ういうことになるのかな?」

 「死とは『自分を含め一切を認識できない』ってことだよ。だから僕の死後、ホルマリン漬
けで死体保存されようが、火葬により炭酸ガスと水蒸気と化し空中に雲散霧消しようが、はた
また僕のコピーが出現し他者には『ゴッホーヴェンは生きている』ことになろうが、
死人な
る僕にはそういう状況を認識しようにもしようがない
じゃないか。」

 「要するに、僕の側から言わしてもらえば、死んだことに変わりはないってわけだ。だか
ら僕のコピーは僕とは完全に無縁だ。他者には僕そのものであっても、僕にとっては絶対僕で
はない。死とは『自分自身を含め世界一切との決定的断絶』なんだ。」

 「なるほどなるほど、もっともだ。」と博士は相槌をうちつつも、さきほどデカンショー氏
にみせたと同様かぶりを振るのだった。




( 3 )


 ほどなく2人は危うく破壊を免れた『デクの坊マシン』の前に案内された。

 「ほほう、これが君の言う『驚異のミラクルマシン』かい。詳しくはまだ教えてもらってい
ないんだが、いったいどんなスゴいことができるというのかい?」

 「君ほどの者が、『歴史的大発明』と自慢するからにはよほどのものだろうな。もったいつ
けずに早く教えろよ。」とゴッホーヴェン氏。

 「マア待ちたまえ。後でじっくり説明するから。その前にこれから君たちにちょっとした実
験台になってほしいのだが、何も聞かないで僕の言う通りにしてくれないか。ナニ痛くも痒く
もないよ。それにアッという間に終ってしまうからね。」

 との言葉に2人は素直にうなずいた。そしてこれから何が起こるのかと期待に胸を膨らませ
ながら、指示通りデカンショー氏は左の、ゴッホーヴェン氏は右のガラスボックスにそれぞれ
納まった。

 メインスイッチを前に、博士はしばし逡巡していた。もしかしてこれは「殺人」なのかも
しれないという疑念に駆られたからだ。しかしそれを振り払うように力いっぱいスイッチを押
したのだった。

 素粒子に分解され(これほど細切れのバラバラ殺人事件はあるだろうか)互いに相手の体
の構成物質により合成され蘇った(?)ご両人。ボックスを入れ替わっているのにも全然気付
かぬまま、何事もなかったように博士の前に歩み寄り口々に言った。

 「まったく何も感じなかったが、僕たちにいったい何をしたんだい?」

 「どこが史上最大の発明というのかさっぱり解らないが?」

 「マアそれは後でじっくり説明するから。その前にさっきの話に戻りたいのだが。」
 といってアイントン博士は2人に語りかけた。

 「デカンショー君。君はこの世一切が謎だとしても『自分が自分であるという一点だ
けは疑う余地のないこと
だと断言したね。ゴッホーヴェン君は『自分の死は一切との断絶で
あり、
自分のコピーは自分とは無縁』と言い切っただろう。ところが、君たちのその揺るぎ
ない信念をぶち壊すようで本当に申し訳ないのだが、この装置によりそれはたった今完全に否
定されてしまったのだよ。」

 博士は罪の意識から視線をあらぬ方へそらしながら続けた。

 「デカンショー君は、いや本物のデカンショー君はもはやこの世には存在しない。ゴッホー
ヴェン君も、君のいう『最初で最後の断絶』がたった今訪れた。つまり
死んでしまっている
んだ。君たちは実はさっきまでの君たちではない。」

 2人とも意味不明の話に怪訝な表情で博士をのぞき込んだ。

 「何をわけのわからないことを言ってるんだ。大丈夫かアイントン君。」

 「そうだとも。きっと疲れているんだ。早く医者に診てもらえよ」

 と心配顔のご両人。

 「無理もない。頭がオカシクなったと思われても当然だ。」

 そういって博士はこの装置の説明に入ったのだった。聡明な彼等にはすぐに事態がのみこめ
た。が、同時にみるみる両人の顔面からは血の気が失せていった。足元がふらつき失神寸前に
陥っている。

 「そ、そ、そんな。この僕がさっきまでの僕ではないって! 『我思う故に我在り』はどう
なってしまうんだ。
自分が他の誰でもない自分であることほど確かなことはないはずなの
に。ではこの紛れもない自分はいったい何者だというんだ! 自分が自分でないなんて、そん
なばかなことがあってたまるかアッ!」

 デカンショー氏は哲学者らしいいつもの冷静沈着さをすっかり失い取り乱し叫んだ。

 「こ、こ、この僕がデカンショー君の体の物質でもって合成されただって! では分解され
た時点で僕は死んでしまったことになるじゃないか。だったら君は人殺しだ。素粒子に分解し
てしまうなんて、これじゃバラバラ殺人だ! 
究極の細切れバラバラ殺人事件ァッ!」

 ゴッホーヴェン氏も我を失い絶叫した。

 ショックを与えるとはある程度想像していたものの、まさかここまで深い打撃を与え狼狽さ
せてしまうとは思わなかったアイントン博士はますます深い懺悔の念に襲われた。

 だがさすが偉人の誉れたかいご両人。博士により突きつけられたこの驚くべき冷徹な事実を
深く深く受け入れ、次第に落ち着きを取り戻していった。長い知的人生により築きあげてきた
確固たる信念を崩壊させられたにもかかわらず、彼等には事実は事実として受け入れる人間的
奥行きがあったのだ。2人にとって、『信念の瓦解』よりも『誤った信念』を持ち続けること
のほうがはるかに耐え難かったのである。




( 4 )


 いい知れぬ深く重い沈黙がしばし流れたが、アイントン博士が先ず口を開いた。

 「許してくれたまえ。デカンショー君。ゴッホーヴェン君。断りもなしにこんな実験のモル
モットにしてしまって。本当にすまない。心より謝る。このとおりだ。」 と博士は土下座し
た。

 「やめたまえ、アイントン君。僕はいま君に感謝したいくらいの気持なんだ。だってそうだ
ろう。おかげで『自己』についてより優れた哲学を再構築できる可能性が開かれたのだから。」
とデカンショー氏。

 「感謝したいというのは僕も同感だ。『生と死』について、もっともっと深い次元でとらえ
感ずべきことに目覚めさせてくれたのだから。」とゴッホーヴェン氏。

 「ありがとう、ありがとう。そういってもらえて本当に救われたよ。実をいうと、君達ちを
実験台にするのには少なからず抵抗があったんだ。ある意味では『
殺人行為』かもしれない
ってね。だがこの実験の意味の大きさの魅力についつい負けてしまったんだ。」

 確かに「殺人」といっても間違いない面を持っている。オギャーとこの世に生を授かって以
来、連綿と生きることを続けてきた本物のデカンショー、ゴッホーヴェン両氏は、
素粒子に
分解された時点で間違いなく死んでいる
のだから。

 ここで例えばデカンショー氏が『自分は殺された』と博士を告発したとすれば、司法はどう
いう判断を下すかみものだ。何せピンピン生きている人間が、『
自分は死んでいる』と本当
のこと
を主張するのだから。

 「ところでアイントン君、デカンショー君。僕は今とても不思議な感覚に囚われているんだ
が。」とゴッホーヴェン氏は切りだした。

 「死とは決定的断絶,それも2度とは起こり得ない断絶だという、さっきの僕の主張は絶対
に正しいと今でも思っているんだ。だから
元々の僕たちは分解された時点でもはやこの世
に存在していないことだけは確か
なんだが、ややこしいことに、何せここにこうやって生き
ているのもまた紛れもない事実だ。ここのところをどう解釈すべきなのか、どうにも釈然とし
なくてね。君たちの意見をぜひ聞かせてほしいんだが。」

 「僕は今こんなことを考えていたんだ。もし僕が死んでいるとすれば、明日から今日を
振り返るのは不可能だね。同じことだが、明日に今日を振り返ることができれば僕の命
は連続していることになる。同様に、昨日からすれば今日は明日であり、いま昨日を思
い出せるということは、昨日と今日は連続していて僕は生き続けていると断言せざるを
得ないだろう。つまり、紛れもないこの自分は死んでいないのは絶対確かだ。ところが
一方この恐るべき装置によって本当の僕が死んだのもまた事実なのだ。こんな物凄いパ
ラドックスがあっていいものだろうか?
 アイントン君、この恐るべき装置の開発者とし
て君の意見を聞かせてくれよ。」デカンショーは哲学者らしい分析をしつつ博士ににじり
寄った。

 「ウーン、僕は君たちのように生や死について深い洞察力を持っているわけではないから、
君たちを納得させられる答を持ち合わせているわけではないんだが。…」と博士も困惑を隠そ
うとしなかった。

  「ただこれだけは言える。僕は生理学にはうといんだが、人間の体は新陳代謝によって絶え
ずその構成物質が入れ替わっているだろう。意識の在り場の脳といえども、絶え間なく送り込
まれる酸素と血液により化学反応して少なくとも原子レベルでは物質交換されているわけだ。
脳の構成物質がすっかり入れ替わるのにどれくらいの時間がかかるのか知らないが、それによ
って死ぬ者は誰もいない。それどころか、入れ替わることによって生命が維持されているわけ
だ。つまり速度の違いを無視すれば、
完全変換という意味では今の実験と本質的には同じ
こと
で、日常茶飯にそれは起こっている。もっとも、『では精神の所在どこか』と問われて
も僕には答えられないがね。」

 ここまで言った時、博士にはある考えが瞬間閃いた。

 「たった今思いついたのだが、こんな思考実験をしてみればどうだろう。あのような大掛か
りな装置でなく、この場所で瞬間的に僕そのものの構成物質を他の物質で置き換えたとしよう。
つまり僕そのものは死んで、他物質により僕の完全コピーがまったく同じ場所 これここに現
れるわけだ。それが何万分の1秒という速さで起これば、君たちにはまったくそれと認識でき
ないだろう。僕は連続してみえるわけだが、一方この場である限り物質的断絶が起きようが、
つまり肉体的に死んでしまおうが、僕の意識はこれこの通り刻々と連続しているわけだ。」

 「今話しながらやっと解りかけてきた気がするんだが、この思考実験で明らかなように、物
質的死というものは、意識の断絶とは必ずしも直結しないといわざるを得ないのではなかろう
か。はやい話が
肉体は滅びても魂は不滅ってやつだ。唯物論者の僕にはとうてい受け入れ難
いことだが、そうとでもしか解釈のしようがないじゃないか。もっともこういう特殊ケースに
限るがね。」

 アイントン博士は自分で自分を納得させるように何度もうなずきながら話すのだった。

「今の話では、同じ場所にという条件だが、仮に僅か1ミリでもズレて再現されたとしたら
話は変わってくるのかね。」

 「さすがデカンショー君。鋭い点を突いてきたね。そこまで僕も思い及ばなかったよ。考え
てみれば同じ場所に限定されることはないんだ。」

「そうだッ! 1ミリといわずそれが1センチ、1キロ、いやたとえ地球の裏に他物質で僕
が置き換わっても僕の意識は連続しているわけだ。つまり
時空を超えて存在可能なんだ。
こ、これはスゴい発見だゾッ!」

 と声をうわずらせてアイントン博士。

 「話はそれるが、今ちょっと心配になったのは、ここでの話が世間に伝わったとして、巷の
神秘家や宗教屋どもに曲解され、『死後の魂の存在が科学的に証明された』などと悪用される
のはごめんだがね。」

 と、この浮世離れしたややこしい話の最中にも余計な心配をする博士。




 ( 5 )


いつの間にか窓の外は白み始めていた。世にも不可思議な驚愕の体験に、さすがに疲れ切っ
たデカンショー、ゴッホーヴェン両氏はアイントンに別れを告げるべく重い腰を上げた。

 「それにしても、とてつもない謎が残ってしまったね。精神というものがいったい何処に存
在するのか,という大問題は何一つ明らかになっていないのだから。僕は生涯をかけてこの難
問を追求するつもりだ。これは哲学を志す者として避けては通れない問題だ。ありがとう、礼
をいうよアイントン君。こんなスゴイ課題を与えてくれて。でなきゃ僕はあやうく三流哲学者
のまま人生を無駄にするところだった。」

 デカンショー氏が心底博士に感謝しているのはその目をみれば判った。

 「まったく同感だ。アイントン君。君には理解できないだろうが、僕は今不思議にもデカン
ショー君と入れ替わる前よりずっと『生きている』って実感にみなぎっているんだ。この充実
感を持ち続ける限り、今後の僕の創作に必ずや役立つに違いない。本当にありがとう。」とゴ
ッホーヴェン氏は心より礼を述べ、更に続けた。

 「それにしても不思議な話だ。繰り返すが、死による断絶は揺るぎない事実だ。あくまで僕
たちは死んだんだ。一方今の話でその断絶が絶対的とは言えなくなってしまった。つまり、
僕もデカンショー君も一旦死んだにもかかわらず、死をはさむことなく連続して生きて
いる
。確かにデカンショー君のいう通り物凄いパラドックスだよ。」

 こうしてアイントン博士に別れを告げると、デカンショー氏とゴッホーヴェン氏は文字通り
生まれ変わった気分で研究所を後にした。が、外へ出て数十歩も歩かないうちに

「オーイ待ってくれたまえ。」と博士の呼び声。

 「君たちにお願いがあるんだ。もう一度この装置にかかってくれないか。そうすれば元々の
君たちに戻れるわけだ。そうしてくれないとどうにも落ち着かなくてね。」

 「何言ってんだアイントン君。今しがた、たとえ地球の裏側で再現されても、自己は失わな
いと話し合ったばかりじゃないか。僕は完全に昨日までの僕であることを確信しているよ。だ
からもうその必要はないんだ。」とデカンショー氏は首を振った。

 「そうだとも、そうだとも。肉体の消滅が自己の存続を遮断するわけではないと納得させて
くれたのは他ならぬアイントン君、君だぞ。元に戻らなくても僕は僕であることに変わりはな
いんだ。」

 ゴッホーヴェン氏も博士の申し入れを拒否した。(どうやら3人の中で一番人間的に未熟な
のは博士のようだった。)

 しかし博士の執拗な懇願に両氏も折れ、仕方なく再度ガラスボックスに入った。

 こうして正真正銘、本物に戻ったデカンショー氏とゴッホーヴェン氏は何だか妙な気分だっ
た。生き返ったという安堵からか、さっきまでの緊張感がビールの気が抜けたようにすっかり
失せてしまっていたのだ。これは哲学、芸術を志す者にとっては精神の退行であり堕落以外の
何ものでもない。

 そんなわけで、今度は逆にいやがる博士を説き伏せ三たび『物質相互完全交換機』にかけて
もらったデカンショー、ゴッホーヴェン両氏は、いい知れぬ高揚感に満たされ研究所を後にし
たのだった。腕を組み組みスキップ踏み踏み。 いやこれは冗談。





お し ま い








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送