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(15) 卒業式の大爆笑


○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

厳粛と滑稽はケッシテ相容れない雰囲気、心理状態と申せましょう。
例えば、故人を偲びすすり泣き声漏れるオソー式の真最中に
誰かが突如プッと吹き出したとか、
ピアニッシモ演奏のさなかに大きなオナラをしたとか想像してゴランナサイ。
葬式も演奏会もぶち壊しになること確実でありましょう。

ところが、水と油のごとく混じりようのないように見える厳粛と滑稽が
場合によっては、紙一重の差だとも云えるのであります。

以下はそれを如実にモノガタル体験談。





高校時代の同級生に吉田というありふれた姓の友達がおりました。
という、コレマタ河原の石ころのごとく
どこにでもゴロゴロ転がっている名でありました。

しかしながらこれを並べてみると、ドーユーワケか

となってしまうのであります。

(今の若い人にはほとんど馴染みがないかも知れませんが、)
誰もが思い浮かべる吉田 茂といえば、
終戦後に活躍した個性味豊かな政治家で
当時を生きる者なら誰一人知らぬ人はないほどの超有名人でありました。

長期に亘ってソーリデージン(池○○作の発音)をつとめ、
有名なところでは、戦後処理に当ってマッカーサーとやり合ったとか、
サンフランシスコ講和条約締結に奔走したとか、
国会でバカヤロー発言したとかいろいろありますが、
そんなことよりとにかくワタクシタチ年代の者にはミンナ皆
ツルテンピーカ(ズル剥け頭)ガンコジジイ
という強烈なイメージが焼きついておったものでございます。


さて、我が吉田君の話に戻りましょう。

入学まなしのころは、授業前出席名簿が読みあげられるたび、
あちこちからクスクスと忍び笑いが漏れておったものでありましたが、
すぐに慣れてしまい一月もせぬうちそんなこともなくなりました。

光陰矢の如し、たちまちにして3年経ち卒業式に至りました。
正装したホゴシャも大勢つめかけておるゲンシュクな雰囲気の中、
延々と続く来賓の挨拶など退屈極まる式次第もヤットコサ終り、
いよいよメインイベント、すなわち
一人一人名を呼ばれ壇上に駈け上がりコーチョーセンセーから
卒業証書をウヤウヤしくハイジュする順が巡ってまいりました。

その緊張感の絶頂に達したさなかに何が発生したのかについては
改めて申すまでもありますまい。

イベントも大詰め、クラス順も名簿も下位の・・・・・


aa
ヨシダシゲルッ!


ハイッ!



その瞬間、それまで耐えに耐えてきた
緊張という名のダムがツイに決壊



の如く沸き起こる

  ダイバクショウ!
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
それは講堂中に幾重にも残響して耳を覆わんばかりでございました。
しかしながら生徒達で笑いに同調した者は恐らく皆無であったでありましょう。)

演奏会で曲や楽章の切れ目になると堰を切ったように発せられるあの
ゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゴホン
という、いわばガス抜き咳払いでもわかるように、
どうもニンゲン、緊張感を持続するのが生理的にクルシーみたいデスネ。
(形は違えど”眠り”も似たような現象かもしれません。)

それが強ければ強いほど、
(あたかも緊々に膨らんだ風船がごとく)些細な刺激にも破裂してしまい、
上にみるように増幅された反動となるのでありましょう。まさに

厳粛と滑稽は紙一重!


吉田茂ク〜ン、まだイキトルカイナ〜。
お互いいよいよローキョーに入ってきたもんやな〜。
その後も
アリガタキ名前ゆえいろいろハジカイタことやろ〜?
そやからゆーて親を恨んだらあかへんぞ〜!
キミが生まれた時にゃあの爺サンはまだユーメーやなかったはずじゃケンネ〜。



吉田 茂(友に非ず。)

ちなみに、この卒業式当時は既に政界を引退して数年経っておりました。








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