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あ | (16) 超常現象 | あ |
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この宇宙に 謎は存在しない |
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あ |
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のでア〜ル,と。 ものの本によりますれば、素粒子の世界では 因果律が破れている, すなわち原因理由なしに現象が生起している, マクロな世界で因果律が成立しているように見えるのは、 ただ確率的にそういえるに過ぎない,ということらしいですが、それは 宇宙はビッグバンにより無から生じた という説と同様、 完全に間違っておる とゼッタイテキカクシンを持っておるのであります。 (ワタクシ如きが科学最先端に異を唱えても鼻もひっかけてもらえないのはヒャクも承知。) (アインシュタインが”神はサイコロを振り給わぬ”といって反発したのは有名な話。) 一方、魔法使いをみてミマショウ。 種も仕掛けもないのでありますからして、何もない空間から鳩を出現させるなどとは、 宇宙をヒックリカエスほどの 超々々々々々々々大不可思議! なにも自然科学(エネルギー保存則など)を引っ張り出すまでもなく、 鳩どころかバイ菌一匹ひきだすのもドダイムリな話であります。 比較していうなら、手品師と魔法使いの違いは 虫一匹いやウイルス一匹と銀河系の大きさの違いより、 |
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に大きなものなのであるのであります。 超常現象を信じるヤカラが、 やれ宇宙人と交信したとか、やれ念力で象を宙に浮かせたなどというのを いともヤスヤスと受け入れてしまうのは、いわば魔法を信じるようなものですから、 と断じてもよろしいでありましょう。 まあざっとこんな理由から超常現象、オカルトなるものは
ところが・・・・・ トコロガドッコイ! この大宇宙には
つまり原因理由なしの現象がひとつだけ厳然としてあるのでござるが ナンヤと思わはりまっか??? ※この究極の大不可思議に比べれば、超常現象など例えすべて事実だったとしても グラスを落とせば割れるのを不思議がるようなもので、実にチャチなものであります。 ※これについてはまたの機会に詳述させていただく所存。 さて私が上のように、超常現象を頭から徹底完全否定するヤツであるのを ジュウブンご承知していただいた上で、いよいよ本題の体験談、 すなわち私のオカルト的体験談を語らせてもらいマッサ。 |
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それは私が十歳に満たない頃だったと記憶しております。 病弱だった母が肺炎か何かをこじらせて二階で臥せっており 私は階下で祖母と寝ておった深夜──突如!── 「ヨ○オッ! ○シオッ! ヨシ○ッ!」 と物凄く切迫した母の呼び声にハッと目覚めたのであります。 耳に口をつけて呼ばれているほど大きく聞こえたものでした。 身を起こしたかどうかまでは憶えておりませんが、 あたりは真っ暗でシ〜〜ンと静まりかえっていて母の姿はありません。 幼いながらも母の具合が良くないことは知っておりましたので なんだかとても不安になりましたが、 「気のせいかな?」くらいに思い直しそのまま眠ってしまったのであります。 (子供のことですから「気のせい」という語彙はなかったと思いますが。) ) ただのそれだけならば、こんなにも鮮烈に記憶が残っておるわけはございません。 問題はその翌朝のこと、 朝食の膳を囲んでオヤジがこんなことを言いよったのであります。
それを聞いたとたん、昨夜の”幻聴”を思い出し 「もしかして!」と、いたたまれない気持に襲われたものでありました。 私が声を聞いたのと母が危篤に陥ったのが時間的に一致していたかどうか, については確認しようがありませんが、 気持のどこかに、それは一致していたのでは? という思いが未だに拭い去れないのでございます。 (超常現象完全否定派にしては矛盾する感覚であるのは承知しております。) 母の姿を見たわけではありませんから これを「夢枕に立つ」とは言えないでありましょう。 母の病状を知っていたことによる単なる幻聴に違いありませんが、 それでも不思議な体験として永く記憶に焼きついておる次第であります。 ※弱かった母も後年には健康になり84年の天寿をまっとういたしました。
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この記事と画像はこちらさまより拝借。 |
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あ ↑ の妖怪のように背中に目がついとるわけがありませんから ”背中で視る”なんて表現のアヤかなにかかな?とお思いでありましょうが、 カミカケテ本当にホントー、ウソイツワリなく、正真正銘、マガウコトなく、 ”背中で視た”という体験談でございます。 でもそれを語るには、ハズカシながら私の尋常ならざる レンアイ体験(もちろんカタオモイ)について少々お話いたさねばなりません。 しばらくお付き合いクダサイマセ。 忘れようとて忘れられない出会いでありました。 高校二年生の夏休み明け、校内水泳大会を見物しておった最中、 何気なく後を振り返ると・・・左斜め後方に!・・・ ・・・・・ ・・・ ・ 見つけたのであります。 見つけてしまったのであります。 大勢の生徒に混じって憂いを湛えた背の高い女性が じっとその神秘的ともいえる幽い瞳をプールへ注いでいるのを! それが後々数年に亘る”悲劇”、イヤ”喜劇”の開幕だったのであります。 (イヤイヤイヤ、世にもケッタイな”茶番劇”とも云えましょう。) さてその日以来なぜか急に彼女の姿を校内でよく見かけるようになりました。 日を経るに従って彼女についての情報も僅かずつ増えてきました。 一年生であること、クラス、昼食は大抵校内食堂で済ませていること。 中でも嬉しい発見は、放課後はほとんど図書室で過ごしていること。 (それらは、たまたま知ったというもので、積極的に求めて得たものではなかった。) それまで弁当持参だったのを敢て持たずに食堂へ通いましたし、 (うどん、ソバ専門。当初は何と10円! トビキリ美味かった。) 図書室へも毎日のように胸を躍らせ通ったものでありました。 ただ名前だけは長い間知れませんでしたが、 新学年になって配布される住所録その他を手がかりに知ることができました。 その名はその名はその名はその名は!
人は誰でも一生のうちに一度は精神病に罹るといいます。恋愛という名の。 私もそれに罹ってしまったのであります。それも命にかかわるほど重症の! ※実際私の命はそのとき殆ど燃え尽きてしまった,と云えるかもしれません。 現在に至るその後の数十年は完全燃焼しきれず ブスブス燻り続けている、いわば燃えカスに過ぎないとも申せましょう。 恋煩いとはよくぞいったものであります。それこそ一年365日、一日24時間、 寝ては夢 起きてはうつつ幻の・・・ の夢遊状態に陥り、彼女以外他のことは一切脳中から失せてしまった, と申しても過言ではないでありましょう。 でもまあここではその後数年に亘る経緯をしゃべるのが目的ではありませんから、 (詳しくそれを語れば一冊の本になろうかと思います。) ここらで話を本筋に戻すことにいたしましょう。 さて、ウンメイテキ出会いから1年ほど経ったある日、 平安神宮すぐ側の京都会館というところで全校映画鑑賞がありました。 シェークスピアの「オセロ」の上演も終り生徒たちはゾロゾロ出口へ向かいます。 私もその中に混じってある人の姿を探し求めておりました。 ある人──もちろん彼女でなくて誰だというのでありましょう。 こんなに大勢の中で見つけるのはとてもムリと諦めかけていたとき、 出入り口付近で、誰かを待っているのか 独りで彼女が館内を振り返るように佇んでいたのでありました。 思わずドキンとしましたが、平然を装ってそのまま横を通り過ぎたのであります。 (実は後にも先にも彼女と言葉を交わしたことは一度もありません。) 後ろ髪引かれるような何かしら重い気持を引きずったまま館外へ出、 帰りの電車に乗るべく歩道を歩きだしてすぐのこと、
のであります。 |
あ | |
あ | 彼女が ・ ・ ・ ・ 彼女が ・ ・ ・ 彼女が ・ ・ 後を ・ 歩いて |
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それをヒシヒシと背中で感じるのであります。 いや、 前にも後にも何百人の生徒がゾロゾロ連なって歩いているわけですから、 振り返りもせず確認できるわけがないとお思いでしょうが、 (なんだか怖くて振り返ることができませんでした。) 本当に”見えた”のですから信じてもらうよりありません。 心臓は胸を突き破るほど高鳴り、視界から一切が消え去り 研ぎ澄まされた全神経は背中に集中しておったといえましょう。 そのとき私の脳裏にはこんな妄念が駆け巡りコウフンは頂点に達しました。 「彼女が出入り口で待っていたのはこの自分ではなかったか? そして後をつけてきたのではないか?」 (一言もしゃべったことはなけれど、その頃は互いに顔見知りのハズでした。) 数分そうして歩いたあと、私はなぜか急に天の邪気な気持になり、 彼女をやり過ごしてやろうと歩調をうんと落とし道のわきによけますと、 果たして直後に彼女は私の前に出たのでありました。つまり 以上が”背中で視た”顛末でありますが、 これは何も超能力を持ち出すまでもなく説明可能でありましょう。 コウモリは闇でも見えるし、ガラガラ蛇は熱で見、犬は匂いで見ます。 気配を感ずるということは誰でも経験済みと思われます。 私の場合も、長い間に知らず知らず彼女の足音や微かな匂いを知得していて、 それを犬並みに鋭敏に感じ取ったから,といえるかも知れません。 (飼い犬のカレンなどは数十メートル離れたところから人の足音を聞き分けよったものでした。) いずれにせよ不思議な体験でございました。 ※高校卒業後も3年ほどイビツな関係は続いたのですが、 その詳細はあの世へ持っていく所存でございます。 |
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