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(26) 忘れ得ぬ人々-番外


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忘れ得ぬ人々
に加えるべきお方を
不覚にも、もう「忘れた頃」-今頃になって(2008/7)思いだしましたので
遅ればせながら追加いたします。

忘れていたのには理由がありまして、
他の「忘れ得ぬ人々」が殆ど刹那的出会いであったのに比して
数十年に亘り付き合いがあり、
余りにも身近な存在だったからだと思います。

もしかしてイの一番にとりあげるべきだったかもしれないその人は
皮肉にも、私が未だに毛虫ほどにも忌み嫌っているある宗教の
エライさんの奥さまでいらっしゃいました。

年少の頃よりよく存知あげておりまして、
(私の家庭がその宗教に属しておりましたもので。)
私が40歳頃にお亡くなりになるまで幾度となくお目にかかったものです。
(割と若死になさったと思います。)

私がそうとう年長けるようになってからも
ヨ○オちゃん、ヨシ○ちゃんと可愛がってもらった覚えがありますが、
なにかしらそのお方とは波長があうものを感じておったのであります。

とはいうものの、人からは余りよく思われていなかったみたいで、
誰かが箸にも棒にもかからん人”
だと陰で貶しているのを聞いたことがあります。

実際、そういう面もあるお方でして
暖簾に腕押しというか糠に釘というか、はたまた柳に風とでもいったらいいか
人間的抵抗感のカケラも感じさせないお方でありました。

ニュートンの作用反作用の法則を持ちだすまでもなく、
どんな物にも圧力が加われば抵抗、反発力が生じるのが常とはいえ、
その常識が当てはまらない例外中の例外であられたようにも思えたものでした。
しかし逆に言えばそういうところが私にはたまらない魅力でもあったのです。

女性といえども理由もなく頬を打たれたり馬鹿呼ばわりされたりすれば、
カンカンに怒りだして当然ですが、
もしそのお方がそんな目にあえば
ヨヨヨと泣き崩れるばかりで何の反抗も示さないまま
ずるずる引き下がられる一方ではなかろうかと想像されます。

どこまでも弱き、あくまでもか弱き、この人ぞまさに


女性の中の女性

更にいうなら、あらゆる




とも感じられたものでした。

なよなよはしていらっしゃっても
その人間的奥行きの底知れないまでの深さには感動すら覚えたものです。
孫悟空が金斗雲を駆って脱出しようとしても叶わなかった

お釈迦さまの掌

的なものを感じたくらいでした。

そんな感じのおばさま(と呼ぶには抵抗があり、あくま”女性”と呼びたい)でしたが
男3人、女1人の4人子供を産んでらっしゃり、
その子たちは至って普通の人間だったようです。(何れも私より5歳以上年少)

立場上属する宗教のお話もよくされるのですが、
 その方に限り私からみて何をトンチンカンなことをしゃべられようとも赦せましたし、
敢ていうなら話の内容なんかはどうでもよかったのです。
その人に接していられることだけでも幸せを感じたものでありました。

押さば引け、引かば押せ,とはいうものの、
そのお方はだけは、押さば引け引かば引けとでもいったらいいか、
小指でつつかれただけでも、まるで氷上にある人の如く
ずるずる際限なしに下がってしまわれる,
と、そんなイメージを受けたものです。

とにかくどこまでも謙虚で優しすぎるお人だったのが印象深く忘れられません。

将に

の再来!

と言ってもいい過ぎではないでしょう。

世の中ああいうお方ばかりで成り立っているとすれば
油の切れてギスギスした人間間に横たわる黒々としたあまたの問題は
一挙に激減するのになあ!と未だに信じて疑いません。





上に述べてきたことは、あくまで遠目より眺めた
私の受けてきたイメージを云ったまででして、
現実にはそんな人が存在するわけはないことくらいは承知しております。
密着して暮らせば、もっと自己主張なさる、
哀楽のあるお方であることが目につくのではないかとも思われます。
しかし外的印象だけでも(私だけかも知れませんが。)
そういう感じを与えてくれる人は
稀有、というより絶無ではないかと思っております。


終りにつけ加えますが、私の娘が誕生したとき
その名をつけるに当って躊躇なく決めたのは
そのお方の一字, ”優”の字ををいただくことでした。

親の欲目と言われればそれまでですが,
そのせいかどうか、
娘は今や名に恥じぬ
優しい優しい大人へと成長しております。





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