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(19) 忘れ得ぬ人々


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誰しも、一目見ただけで生涯忘れられぬ人になってしまった,
という経験があると思いますが、私の場合も何人かございまして、
以下それらの人々を紹介してまいりたく存ずる次第であります。

彼等は何も特別目立つ存在超美人とか怪物的顔相とか)というより、
わけがわからぬまま何故か不思議に心の奥底深く染み込んでしまった
ごくフツーの人
というケースがほとんどでありました。

またそれらの人々は例外なく、長い人生からすればほんの一瞬の出会い
(長くて数日、ある場合など文字通り瞬間)であるにかかわらず、
永遠に忘れがたき人となってしまったのでございます。




まず記憶に残っている最初の忘れ得ぬ人でありますが、
私が7、8歳ころ観光バスで夜の京都見物した際のガイドさんでありました。
(京都に住みながら京都見物とはコレイカニ!)
顔とか声はもう完全に忘れておりますが、
まるで夢の国からやってきた天女のようにも思えたくらい
それはもうステキ極まるオネエサマで、その後数日間は、
アマクセツナクヤルセナイ気持で幼いながらも
胸が張り裂けんばかりにミモダエておったものでございました。
(もしかしたらこれがワタクシのハツコイだったのかも知れません。)

月は〜お〜ぼ〜ろに〜東山〜あ〜

特に道中で歌ってくれた「祇園小唄」
半世紀過ぎた今でも耳に残っておるのであります。



次に、中学の修学旅行のとき、熱海→箱根→東京とゴイッショしてくれた
これもまたバスガイドのお姉さんでしたが、
彼女の場合、何も私だけに限らず同級生の男子一同悉く
その人間性みたいなものに完全にかれておったものでした。
たぶん美人ではなかったと思いますが、
とにかく名状しがたい魅力に溢れたお人で、
今もなお記憶に焼きついておるのであります。



バスガイドが続いたついでに、タイムスリップしてもう一人ゴショーカイいたします。
ケッコン後十数年経ったころ
北陸の温泉街へある団体から一泊旅行に出かけました。
旅館では、女性客も混じっているにかかわらず、
ゴタブンにもれずゼンカイぬ○どを見せられたりしたものでしたが、
そんなことより往復の車中で眺め続けたガイドさんが印象に強く残っております。
やはり美人ではなけれど深く私の心を捉えたお方でありました。
幸い彼女に限ってワタクシとのつーしょっとがありますので
ここに紹介いたしましょう。(ワタクシ、ブキミなくらいニヤケとりますがね。)


ガイドさんとシアワセソーな貧乏人



二十歳過ぎに四国へ一人旅したときのこと、
金毘羅宮の石段下にあった土産物屋のおばさんも忘れ得ぬ人であります。
そのお店の前を通りすぎようとしたところ、
「兄さん、何か買っていってよ。」と声をかけられただけですが、
二言ミコト声を交わしていてとても不思議な気持になったものです。

この人は


初対面には違いないのですが、どうしてもそうは思えなかったのであります。
まるで毎日共に暮らしている人のようにも感じられ、
何ともイワクイイガタイ奇妙な感覚でありました。



同じく四国旅行での出会い。

宇和島の安宿で一泊し翌朝出発のとき、
一瞬ですが目に入った旅館の娘らしい色白の少女(たぶん高校生くらい。)
も忘れられません。
忘れ得ぬ人々の中では例外的にスゴイ美人でした。)

まるで天から舞い降りた鶴の化身のようにも思われ、
ものの一秒も見ていないにかかわらず
今に至ってもその面影が脳中から消え去ろうとはしないのでございます。



上の四国旅行した当時は、新聞に載ったワケでもお話したとおり、
大きな老人ホームに勤めておりましたが
その不思議なお婆さんに出会ったのはその在職中のことであります。

では何が不思議かといえば、そのあたりに撒き散らす雰囲気でございました。
もう70歳をはるかに過ぎていたでしょう。腰はシャンと伸びていたとはいえ、
頭は真っ白で見た目には紛れもないお婆さんであるにかかわらず、
彼女と話していると何だか


と相対しているような錯覚を覚えるのであります。

彼女が微笑むと、あたりいっぱいパアッと花が咲く(というよりむしろ)


かのごとく、優雅で華やいだ常ならぬ世界に誘いこまれたものでございました。

私はその当時より、
人間
老醜してまできるべきではナイ

というヘンクツシソーのモチヌシでありますが、こういう老いなら

大歓迎!



老人ホームを辞めたあと自宅にて
手描き友禅の一工程である糊置きという仕事に携わっておりましたが、
好不景気の波が激しい職種でありまして、
仕事の切れた際はあちこちアルバイトをして飢えをシノイデおったものです。

そのお人に出会ったのもそんな時でございました。
(はっきりは憶えておりませんが、たぶん結婚前だったでしょうから二十代後半。)
組み立て式の室内風呂の取り付け工事のアルバイトで
あるお宅へ伺ったときのことでありました。
あまり豊かでなさそうなお宅でしたが
応対してくれた30歳前後のオクサマも強烈に印象に残っております。
少しも美人ではなかったですが、
その人間的魅力は我が人生最高だったといえるかもしれません。

こんなお人を生涯の伴侶にできたらな〜!

と痛切に願ったものでありました。
一緒に工事に行った独身のオニイサンも思いは同じだったとみえ、
帰途の車中で盛んに賞賛しておったものです。



さて終わりに忘れ得ぬ人々の中でも別格ともいえる二人を
紹介することにいたしましょう。まずは一人目。

これも20代後半のことであります。
やはり仕事切れで建設現場の資材片付けのアルバイトをしておったとき、
皆がワイワイ騒ぐのでその方に目をやりますと、
歳のころ30前後の男が現場の前に佇んでおりました。
一目で知恵遅れだとわかる風体で、
頭は丸坊主、だらしなく青鼻を垂らし、虚ろな瞳はトロンと濁り(将に腐った魚の目!)
ズボンに差し込まれた手は己のイチブツをまさぐっているようでありました。

「○ん○りバカがまた来よったゾ!」 
「こんなヤツ野放しにしといてええんかいな!」
「ケーサツ呼ぶゾッ!」 「クサイゾ、アッチ行けッ!」


などと口々に罵っておりました。

が、しかし!・・・

なぜかそのとき、自分でも信じがたいのですが、その男の姿を見て


と涙がでるほど感動してしまったのであります。

その後も2、3度同じ場所に同じ様子で来たのを目撃しましたが、
その度思いを新しゅうしたものでございました。

ワタクシは相当な変わり者であるのを自認しておるといえども、
砂糖を辛い、塩を甘いとまで感ずるわけではございません。
ですからヒトサマとの共通感覚も多分に持ち合わせておるのですが、
何ゆえそんな異常な感覚をそのとき抱いてしまったのか、
今もって不思議でなりません。
(何と、今思い浮かべてもその感覚は変わらないのであります。)

ご注意!
上のような感じ方をしたからといって、
私メが聖人にも近いリッパなセーシンの持ち主などと誤解してもらっては困りマッセ。
ハクジョウいたしますると、性根はエゲツナクネジクレきっとるのでゴワス。
もしかしたらその男にオノレの真の姿を見てしまい、
”自己憐憫”の情が大きく転化しそのように感じたのかも知れマヘンな〜。
その証拠に、その 神の姿を何度でもを拝みたい と思ってよさそうなのに、
マッタクそうは思いまへんもんね。逆に”もう見たくない”というのが本音であります。



さて最後になりますが、これはケッコン式を3カ月くらい後に控えたとき、
友禅の仕事がなくなり金沢の知り合いを頼って
その経営する建築関係のアルバイトをしていた際の出会いであります。

金沢は香林坊の現場へ一週間ばかり通っていたある日、
それまで知り合いの奥さんに弁当を作ってもらっていたのですが、
たまたまその日は作ってもらえず現場近くの大衆食堂へ昼飯を食いに行きました。
(屋号は忘れもしないおたふく。)

そこで働いていた、たぶん二十歳にもならない娘さんが、


となったのであります。

長期に亘っての接触ではその限りではありませんので念の為。
その代表が こちら で紹介しております女性

美人ではあってもの字をつけたくなるほどではありませんでしたが、
化粧けのまったくないその清楚で純真極まる姿に強く魅せられたのであります。
大きな街の中心地で昼時ですから、
近くで働くびじねすがーる(古い!今はオフィスレディ?)も大勢来ておりましたが、
彼女たちとの対照が何とも鮮明で
顔を加工しまくったびじねすがーるたちが一様に下品醜悪,で汚らわしい


のようにも感じられたほどだったのでゴザイマス。

適切な喩えではありませんが、伊豆の踊り子を現代風にアレンジしたイメージ,
とでも申せましょうか、とにかくその娘を眺めていると思わず
時間よ止まれ!と念じてしまったものでありました。

アッ、たったいまピッタリドンピシャの比喩を思いつきました。

まさに彼女は日本の
(写真をクリックすれば拡大。)



また大袈裟に聞こえるかも知れませんが、こういう彼女を見ていると、

これでニッポンスクワレタ!

と心底実感いたしたものでこざった。
一緒に食堂へ通った仕事仲間にそのことを云うと、
「確かにいい娘じゃがそこまでは思わんチャ。」と笑っておりましたがね。

また、その時点で私が結婚を1月後くらいに控えた身であるのを知っている彼は
「ヨメサンになる人に悪いんじゃネーノ!」と、当然ながらいぶかっておりましたが、
「これは美術鑑賞みたいなもんですよ。」と受け流しておきました。
実際ホレタハレタの気は全然なかったのですカラネ。

翌日から弁当を再開してくれましたが、モウシワケナイことに
それを食べず(もちろんナイショ)、昼を待ちきれない思いで現場が終るまで
いそいそとおたふくへ通ったものでございました。


人を見て、「これでニッポンスクワレタ!」と感じたことがもう一度ございます。
それは数年前、女学生の間に流行った、巨大な芋虫を想わせる
ブカブカシワシワの世にも不恰好なナントカソックス全盛のころ、ある駅の構内で
フツーの靴下を履いている可愛い女の子を目撃したときでありました。
その女の子も
忘れ得ぬ人に加えるべきでありましょう。
アレを見るたび彼女らを、脳ナシ女ドモメ!と腹の底からケーベツしたものです。





話はちょっと逸れますが、
私は若い頃より感動的な小説を一篇くらいはモノにしてみたい
という願望をイダき続けておりましたが、
上記知恵遅れの男と食堂の娘を知ってからというものは、
彼等を主人公にした悲しい物語を書きたい気持がフツフツと湧いてきて
あれこれ筋書きを模索し続けておるのでありますが
何十年経過した未だにそれは叶わないのでございます。





ワタクシ日本一の貧乏人メは
人間嫌いにかけては大ヨコヅナ級の超ヒネクレ者でありますが、
(その程度のほどは こちら をご覧いただければ判ってもらえるでありましょう。)

こうして忘れ得ぬ人々を回想しておりますと、思わず知らず



○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
と、”不覚にも”実感してしまうのであります。







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