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ホーキング博士への質問状?


 
 SWHawking@damtp.cam.ac.uk

 私は19×4年生まれの×7歳です。無学ながらも、宇宙のことに関して若い
ころより多大な関心を持っております。博士の本などは理解できないながらも、
夢中になって読んだものでした。
 無学の程度は、微分積分さへ計算できない,といえばお分かりになるでしょう。
英語は勿論チンプンカンプンでして、この文章も日本語で書かざるを得なかった
ことをご理解願います。
 ついでながら、数年前より脳腫瘍を患っておりまして、歩くことさえ困難な状
況にありますが、博士の長い闘病を思えば、ものの数ではないかも知れません。

 ところで・・・
 まずお訊ねします。「宇宙は無から始まった」ということが、天文学者の間で
は常識のように言われています。無学ながらも、私には絶対に信じられないこと
です。無とは「何も存在しない」という意味だと思っていますが、「場」であろ
うが何であろうが、存在するということはゼロではないということですから、例
え体積がゼロであろうと、1兆の一兆乗の1という極微も極微な大きさであって
も何かが「在る」ことに違いないのではないでしょうか?

 聞くところによれば、「万物は無から生じた」というのは今のところあくまで
も仮説に過ぎないらしいです。博士は本当にそんなことを信じていらっしゃるの
でしょうか? それとも信ずるにたる、何か論理的にも根拠のあることなのでし
ょうか?  一方別の個所では、
「量子重力理論さへ受け入れるなら、宇宙には始まりも終りもない、ただ存在す
る。」とも述べておられます。矛盾しているようにも聞こえるのですが、博士の
真意はどちらにあるのでしょうか? (私としては、一千万、いや一億人の心強
い味方ができた思いで、「ただ存在する」のお言葉にすがりたい気持ちです)そ
れなら、納得もできます。宇宙の総てを凝縮すれば、ゼロという特異点になっ
てしまうという説にだけは同意するわけにはまいりません。

 以前こんな説を目にしたことがあります。Sabro Honmaという日本の高エネル
ギー研究所の人が書いていたことですが、「クォークという素粒子の大きさは、
陽子を太陽系くらいに拡大したとすると、何とまあ、ピンポン玉くらいのクォー
クがたった3つあるだけ」ということでした。それを読んでめちゃくちゃ驚いた
ものでしたが、ホーキング博士が書いておられた、「星を一粒の塩だとすれば、
宇宙の星を全部一か所に集めたとすると、直径3Kmくらいに収まってしまう」
ということを併せ考えると、もしかしたら、クォークスケールにすると、全宇宙
の存在量を一か所に集めたら、陽子一個に収まってしまうのかもしれません。私
には計算能力は全くありませんが、本当ところはどうなのでしょうか? その場
合はゼロではないのですから、納得しようもあるというものです。

 ここで、荒唐無稽に聞こえるにでしょうが、私なりに考える宇宙の変転につい
て、以下述べさせていただきます。といっても、何の根拠もないことですが。

 ビッグバンがあったとして、何時になるか分かりませんが、やがてビッグクラ
ンチを迎えるでしょう。一点に万物が集結したとたん、間髪いれずまたビッグバ
ンを起こし・・・ということを無限に繰り返すのではないか,と思われます。
 Robet Dickeが考えていたような「振動宇宙」というものに似ているのかもし
れません。或は仏教でいうところの、「輪廻」宇宙とも表現できるでしょう。無
限の繰り返しということを熟慮すれば、クオークが破壊されないとして、ある輪
廻では、A粒子とB粒子が1Km隔たっていることもあるでしょうし1mm離れて
いることもあるでしょう。だけど、完全に一致することもあるに違いありません。
それが、輪廻内の全時空の全存在に渡って完全に一致することもあるでしょう。
A粒子とB粒子が、1光年や何千光年も隔たってあるとは考えにくいのです。
(クオークが破壊されようが、されまいが、時間は無限なことを思えば、そんな
ことには関係なく)もしかすると毎回全く同じ組み合わせになるのかもしれませ
ん。

 このことから、こうもいえるのはないでしょうか。それは無限の繰り返しも、
たった一回も、全く完全に同じことではないか,ということです。更にいえば、
前世の記憶が残っていないのですから、「どこにあっても同じ」ことになる,と
言ってもよいでしょう。無限輪廻のずうっと以前なのか、つい最近(といっても、
何千兆年先?)のことなのか、もしくは未来のどこなのか、知る術を持たないか
らです。これはちょうど原子核の周りを回っているとされる電子に似ているとい
えます。聞くところによると、電子は、「原子核のどこにでもある」「ボヤ〜と、
雲のように広がってある」とも表現できるそうですが、それは将に、私の考える
大輪廻の中の存在そのものの在り方に一致するようにも思われます。

 ところで、以前
Halton Arpという天文学者が、通説に異論(赤方偏移が、距
離の指標とならない)を唱えたばかりにアメリカを追われたというような話を耳
にしました。何か昔の「魔女狩り」をかすかに連想させるようで、薄ら寒さを感
じてしまうのは、私の思い過ごしでしょうか。「光よ、あれ。と神がおっしゃっ
た」との聖書の言葉が、西欧の無神論の学者までも、どこかで支配しているよう
に思えてなりません。
 まあ、ざっとこのようなことを考えているのですが。・・・

 ついでながら http://redant.fc2web.com/00000h.html

 ここ
をクリック願います。
 これはベートーヴェン第五交響曲第二楽章の、ほんの一部ですが、私には至高
の音楽に思えます。MIDIをmp3に変換したものでして、私が作ったもので
す。返信はいただけないのは解っていますが、一度でもお聴き下されば幸いです。

 Y〇shio Y〇oshikawa 2011/3



 
   
   なお、以下はメルトモに数年前に書いた文章で、宇宙の輪廻について思うところを述べています。
 
 
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しりいず
死とはなにか






 死は存在しないことの証明

その3  我輩の大発見[A]

 本来ならここで「
生と死」に関する私メの"
世紀の大発見"につきまして滔々
とまくしたてたいところでありますが、それはお姉様にはすでにセッサク寓話
アイントン博士の大発明」にてその大意をご紹介いたしてオリマスモ、



とのジツにありがたくもモッタイナイご感想をゴ頂戴(メッチャハラタッタゾ!
クリスメッ!)
いたしておりますレバ、この際ウッチャッテおこうと思うわけで
ゴザイマス。たいへんシツレイながら、私メの"世紀の大発見"は、ねえさんの
ペンペラペン、アッ違うチガウ濃密なる脳味噌では歯がたたないこと明白でオ
マスさかいナ〜。




 死は存在しないことの証明

その4 我輩の大発見[B]


 何と驚くべきことに、この大天才ボーヤはもうひとつ別に"世紀の大発見"を
いたしてオリマスル。しかれどもそれについて詳述いたしますレバ、それこそ
また、「ツマンナ〜〜イ」を百回も連発されかねませんので、ここでは概略を
述べさせていただくにトドメマッサ。



  大 輪 廻

 先日オソレオオクモお姉様に
初対面させてイタダキマシタデスヨネ。トコロ
ガ何と信じられナイデショウガ実は「
初対面」ではなかったのでアリマスヨ。

 「エッ!ウソヨウソソンナコトウソウソウソゼッタイウソニキマッテル。」


 とノタマウ気持ちはよくよくワカリモウスがここはマア我輩を信じてお聞き
下さいマセ。

 「
初対面」でなくんば「再会」。それも二度目や三度目の再会ではアリャし
ないのでおますヨ。ナント"
無限回目の再会"だったのでゴザイマス。将来にお
きましてもやはり姉御とは"
無限回数"逢瀬を重ねることになるのであります。

 
三年坂の石畳を踏みしめイノダコーヒーの喫茶店、丸山公園の明治風レス
ラン、南禅寺と東山山麓を引きずり回しチャッタ場面。あれとソックリそのま
ままが、過去においても未来においても無限回数繰り返されたし、繰り返され
るのでゴザソウロウ。


 そのときの上空の雲の流れや形、拙者のそのとき吸ったタバコの煙のクユリ
具合まで、何もかもオンナジ。──とにかく"
完璧なる再現"。もしその一部始
終をビデオに収めていたとすれば、その繰り返し再生といえばイメージしやす
かろうと思いマス。

 
「ナンノコンキョガアッテソンナバカラシイコトイエルノヨ。」とのお言葉
ですが、それを説明いたそうとイタセバそれこそ
「ツマンナ〜〜イ。」の百連
発頂戴すること間違いおまへんサカイ、敢えて申さないことにいたしマス。

 ただこれだけは正直に申し上げてオキマショウ。私メ、この"
大輪廻"の考え
を長い間"世紀の大発見"と信じヒトリヨガッテおったのでありますが、あると
きものの本によりまして、
ニーチェだったかの哲学者が、何ともう百年以上前
に同様のことを主張いたしておるのを知るに及び愕然といたしたものでありま
した。それだけにはとどまりませんで、なんと何とニセン年以上の大昔、
プラ
トン
なども同じ"大輪廻"を唱えておったということを知ってシマイ、モウ気絶
しそうにナッチャッタのでございました。せっかくの"
世紀の大発見"という信
念がもろくもコッパミジンに粉砕されちゃったのでゴザイました。

 でも我輩は負けてはおりませぬ。ソレニモメゲズこの"
大輪廻"に関しまして
プラトンやニーチェの時代には気付かれようもなかったことを
マッタク独自に
大発見
いたしたからでアリマス。それは何と科学の最先端「量子力学」にカラ
ンダことなのであります。ムツカシイことは申しませんサカイ、どうか逃げず
に続きをお聞きくださいマセ、おねえさま。


  電 子 の 正 体

 お姉様の眼の前に突如忍術の天才
猿飛び佐助が出現したとイタシマショウ。
何を思ったかキャツメ姉さまをフワリと空中へ浮かべ、周りをサ−カスのオー
トバイ曲芸のように球形にグルグル回りはじめたではありまセヌカ。スピード
をグングンあげていきます。とうとうアンマリ早くなり過ぎてその姿を捉える
ことができなくナッチャッタトオモイキヤ、何とナント周りはキャツメでいっ
ぱいになってしまったではアリマせぬか。前にも後ろにも右にも左にも上にも
下にも。お姉様の周りの空間は四方八方すっかりキャツの姿で埋め尽くされて
おります。サテハさては
分身の術を使いオッタナ。

 その無数の猿飛び君、お姉様みてヨダレタラシテニヤニヤシテルと思ったら、
アライヤダいつの間にやらお姉様
スッポンポンのマルハダカにされておるでは
アリマセンカ!。前から後ろから右から左から上から、それにナント下からも
見上げ覗かれてチャッテル!!



 そうかナルホド姉さんを空中に浮かべ分身の術つかいヨッタ目的ワカッタ!
ぬうど鑑賞シトルンヤ。我輩も佐助チャンにアヤカリタァ〜〜イ。

 
「チョットチョットぼーや、この話ドコガ輪廻や量子力学と関係あるってユ
ウノヨ?。」


 とのお言葉ゴモットモですが、それはスグ明らかにしますサカイ今しばらく
ご辛抱を。

 サテこの分身の術により球形にお姉様を包囲した無数の
猿飛び佐助とソック
リ瓜二つなのが、何と驚くべきことに"
電子"──今や時代の花形、トップスタ
ー"
電子"なのでゴザイマス。

 原子核なるものを中心として、その周りを回っているのが「電子」というこ
とにナットリマスが、
その回るアリサマが分身の術の猿飛び君ミタイヤト量子
力学という学問は結論付けている
のでアリマス。

 ワタクシタチの感覚では、ある瞬間にはモノはワンポイントにしか存在でき
まへんでっしゃろ。7月7日正午に姉さまが福岡、東京、上海、おまけに京都
に同時にイルなんてこと天地がサカサになっても無理ドスワナア。電子にはそ
んな芸当ができるとゆうんやさかいタマゲチャイますヨネ。(
もしこのボクに
ソレガデキタラナニシヨウカナ〜。ソウヤ!エエコトオモイツイタ!
 セカイ
ジュウノ何千人ノ美女トイットキニアレシヨオ〜〜ット! モノスゴキモチエ
エヤロナ〜
。)

 チッチャナひと粒の電子が、原子核の周りのドコカにオルには違いないのに、
その居場所をつきとめラレナイ。強いていうなら、マルデ分身の術ツカイヨッ
タミタイニ

同時にどこにでもオル

モヒトツユウナラ、原子核の周りに

ボヤ〜と雲のように広がってオル


というマッタク奇妙キテレツ摩訶不思議なモンが電子なるものの正体ラシイで
っせ。

 
ソンナバカナコトガアッテモイイノデショウカ!

 でも
ソンナバカナコトを前提にして量子力学が成り立ち現在の様々な"IT"
技術が展開されておるんでゴザイマスカラシテ、ここはイヤでも信じなくちゃ
ならんと思うのでありますが、ドナイナモンデッシャロネ、おねえさん。
 
 ここにこうやってパソコン使ッチャッテ姉さんとやりとり出来チャウのも、
イッテミリャア電子が分身の術使っちゃってくれてるオカゲというワケサ。


 大 輪 廻 と 電 子 のフ シ ギ な 縁

 サアテ、ここらでいよいよメインテーマ、"
大輪廻"と「量子力学」を関連付
けなくちゃなりまセヌ。それがどこでどう結びつくかを述べる前に、今一度"大
輪廻"の意味について考察してみたいと思うのであります。
 (お姉様の人生が、過去にも未来にも無限回数あったしまたアルと無条件で
仮定いたしてもらわナクチャ話が前へ進みませぬので無理にでもソノヨウにし
ておいてくださいマセ。)


 ここでお訊ねしたいのでアリマスが、「
過去生」のご記憶アリヤイナヤ。
 
「ソンナモノアルワケナイジャン。ボーヤッテマヌケナコトキクノネ。」
 ソウあるわけオヘンワナア。

 
「ア〜〜!イヤダイヤダ、こんなイヤなオモロナイ人生を無限回も繰り返さ
ナクチャならんやなんて地獄の拷問よりヒドイヤンケ〜〜!」


 と、この私メも悲嘆にくれることはマッタクスコシモゼンゼンおまへんのド
スヨ。無限回ゆうても、タッタ「
一回キリ」とオンナジですもんね。
 ソリャ〜次回も次々回もその又次もという具合に延々とソレコソ無限に
地獄
の責め苦
(の記憶)が積み重なっていくものなら、こんな世にも
ソラオソロシイ
話はゴザイマセン。
 でも幸いナルカナ、過去世の記憶がまったくない,ということは、来世も再
来世もそのまた次も体験せねばならぬのは確かなのに実質的には体験できない
のと同じでゴザイマショウ。

 
この無限回数が一回と同等,というのがモノスゴク肝心な点でありますから
シテ、もう少しその意味を掘り下げてみましょうネ。


 
今現在すなわち現世は無限輪廻のどこかに在ることは絶対確実しかるに
今在る"現世"の位置─―大輪廻のズゥ〜〜ト前の一回なのか、それともワリト
最近なのか、それとも未来のどこかの一回なのかを決定できない。決定しよう
がない。(未来であるわけなんかナイと軽々しく断定デキマセヌヨ。なんとな
らば無限輪廻の世界には過去とか”未来”とかの概念が通用するものかどう
が甚だ疑わしいからであります。)


 この点に思念を集中してフカ〜〜ク深く思いを沈めてみれば、次のように申
しても決して間違いではナイと、拙者は確信いたしておるのでゴザイマス。


現世──まがうことなき絶対確実、今、現在、今世は

どこにあっても同じ。

モヒトツ踏み込んでいうなら


同時にどこにも在る

ボヤ〜と雲のように広がって在る。


「アレッボーヤ、ナンダカサッキオンナジヨウナコトイッテタキガスルワ。」


 ソウ、そうなんですお姉様。「
電子の摩訶不思議な生態」について、まさに
「オンナジヨウナコト」をゆうておりましたワナア。

 電子もまた、どこか(無限個所のどこか)に位置しているのは絶対確実なの
にかかわらず、どこにあるかを決定しようがない。敢えていえば、同時にどこ
にも在る。
ボヤ〜と雲のように広がって在る,と。


 
ホウレ、ゴランアレ! ミゴトに結びついたじゃゴザンセンカ!。


大宇宙の大輪廻という超々々々々々大スケールと

電子という超々々々々々小スケールとの

この不思議極まる一致!













ダカラドウダッテユウノヨ


 チョ、チョ、チョット待ってくださいマセおねーさん。 
 「
ソレヲイワレチャオシメイ」なんでございます。クヤシイカナハガユイカナ、
ワガハイはいまだそのご質問に答えられないのでゴザイマス。
宇宙の神秘」という大高峰を八合目まで登り詰めたような気はしておるんで
アリマスが、残り「二合」というのがソレハモウ垂直に切り立った断崖のよう
でありまして、行方をはばまれハタと立ち往生しておるのでございます。モウ
何十年も一歩も前進カナワヌままにおるのでゴザイマス。

 ただ、「
モノノアリヨウ」についてのこのモノスゴク
オソルベキ一致はただの
偶然ではない
気がいたしておりまして、どうもココラアタリに"宇宙の秘密"が
隠されているように思えてならないのでアリマスが。・・・

 モットモそうは申しましても、我輩の"
世紀のダイハッケン"なるものは、ソモ
ソモ
バカゲタ大妄想に過ぎない可能性もオオアリでありますがね。

 
「デモマアナントトテツモナイ超特大スケールのボーヤノ頭の中!クリス
ンシンシタワ。タマゲチャッタワ。モウボーヤメッチャソンケーシチャウ。」


 
・・・・ とはユウてモラエマヘンヤロネ。

 
「アタリキシャリキケツノアナブリキヨ(関西では「当然」という意でこう
言いまんにゃ)
。ウヌボレナイデ!ソンナアホミタイナハナシシンジルヒトナ
ンカイルモンデスカ。」

ウ〜〜ンウ〜〜ンウ〜〜ン

クソォ〜〜クソォ〜〜クソォ〜〜!

クヤシイケドソウデッシャロネ、ヤッパリ。
ションボリ シュン・・・・・・・・・・・・。


※ ナンダカ少し本論文の主旨「
死は存在しないことの証明」からズレてしま
ったオモムキがありますが、「
生の無限の繰り返し」はツマルトコロ「死は存
在しない
」ことの「裏側からの補強説明」になるんではないかと思うておる次
第でおますニャケドネ。 単なる妄想であるなら、意味なんか蟻サンのオヘソの
ゴマほどもオマヘンガネ。


トドメにイマイチド念を押しておきましょう。

無限回数がたった一回にしか捉えられない。また



が無限回数のどこかに位置しているのは

絶対確実なのにかかわらず、

どこにあるかを決定しようがない。

敢えていえば、

同時にどこにも在る!


次号に続く




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