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井蛙の戯言





でおりましたが、この度何とかメデタク生還叶いました。一年何カ月ぶりに

自分という現象
その不可思議について
2007/8



 
"究極の謎"の項で、これ以上の不可思議は絶無である,てなことを申して
おりましたが、ここでいささか訂正させていただきとうございますんや。と
申しますのは、以下ギロンを展開いたそうとイタシテおりますお話も、それ
に勝るとも劣らないトテツモナクフシギな内容であるからであります。どう
ぞ心のフンドシを締めなおしてお聞き下さいマセネ、こひよ姉様。エッ! 

 「アタシこれでも女だからフンドシなんか締めるわけにはいかないヨ。」

 ですと! ゴモットモごもっとも。


 さて、デハそれほどの不思議とはイッタイ何なんでございましょうや!

 ズバリ申しますればそれは、
オノレ自分――何でもかましま
せんけど。)という現象なのでございますのや。

 ここで正直に申すならば、これについて語ろうといたせば、自分でも混乱
してしまうヤヤコシイ話でありますからして、うまくお伝えできるかどうか
サッパリ自信ないのでありまするが、兎にもカクにもご理解いただけるよう
に精一杯ガンバッテみる所存でございます。わかりにくい表現などございま
ましたら遠慮なくご指摘願う次第でござ候。

 アッ、それからジツはこの話はだいぶ以前にも別の切り口から一度いたし
ておるのでござりまする。

天上天下唯我独尊
にて。
先代お姉様”向けに書いたものではありまするがね。)

 従いまして内容的に一部重複するところなど出てくることもあろうかと思
いますが、予めご承知おき願いまっさ。







 さて前置きはこのくらにして本題に入らせていただきます。

 ふつうに考えれば、この
"自分"ほどゼッタイ確かなモノはございませんで
すよネ。ある意味、"万物の尺度"といってもヨゴザイましょう。自分に分か
ることしか分からない,どこへ行こうがついて来るのは自分だけ,痒い痛い
も感ずるのは厳密には自分だけであります。(実は既に上のセリフの中にも
そのモノスゴイ不思議は隠れておるのでありますが、それはおいおい明らか
にしてまいる所存。)

 そのタシカナたしかな確かなはずの自分のいったいどこが謎だとゆうんで
ございましょうや?――これにズバアッと一言で答えられたらゆうことおへ
んのやが、それが一筋縄ではまいりませぬのよ。ジャニよって手を変え品を
代えセツメーしてまいる所存でありますが、果たしてうまくいきますことや
らどうやら・・・。

 さて、ではまず
自分が今在る確率”というところから話を進めてまいり
ますが、これがまたタイヘンなる偶然によってもたらされたものであるのは
認めざるを得ないでありましょう。両親がある夜その気をおこしガッタイし
なければ自分は存在しなかったわけであります。のみならずその時ハッシャ
された何億といわれるセーシのたった一匹がランシに潜り込みに成功しなけ
りゃ自分は存在してなかったことになるわけですやんか!

 それだけにはトドマリませんで、その両親もそれぞれそういう超難関を突
破し、そのまた両親、つまりお爺さんお婆さんも・・・とゆう具合に遡って
まいりますと、僅か数代で天文学的数値をはるかに超えてしまうことは容易
に察しがつくことでございましょう。なにせ
足し算ではなく"掛け算"でその
あリ得なさが増えていく
んでっさかいにね。このことを巧みな比喩を用いて
説明なさったお方様がおわしました。そうお釈迦さまでございます。



(↑にタイヘンゆにいくな説明がありまっせ。)

※これがダンジョのセーキを象徴した言葉であるのに気づいたのは、
恥ずかしながらだいぶ年月が経過してからのことでございました。


 これは単なる比喩でなく実際その通りなのでありますからして認めざるを
得まへんでっしゃろよ。(ただし、
「これは宝くじの一等に百回連続で当っ
たというほどの大奇跡である。ダカラしてこの世に生れ出たことを感謝、い
や狂喜しなけりゃならん。」
とは我輩にはトーテー思えませぬがね。)

 また逆に、それほどの超奇跡がこんなにも世に溢れているわけがナイ。従
って
偶然ではなく必然の現象ナノデアル,と誰かが申したとしても、それは
それで謙虚に耳を傾けなくちゃなりませぬ。

 とにかく偶然にしろ必然にしろ、思えば思うほどに自分という存在は何と
まあフシギな不思議な現象でありますことよ!――と感慨に耽るのはまだ早
うおまっせ、ネーサン。それが何であるかを以下に述べてみようと思うので
ありますが、これがはじめにも申したとおりヒトスジナワではいかぬのでご
ざいますんや。

 ワタクシはよく、
「なぜ自分は自分であって他人ではないのか?」と不思
議に思うことがございます。しかしまあこんな感覚こそ、荒唐無稽もいいと
ころといわざるを得ないのは承知しておるのでありますが、一方そういう感
覚の中にこそ大きな謎が潜んでいるように思えてならないのであります。

 これは何も"確率"の問題からそう思うのではなく、いわば"本能的"にその
ように感じてしまうのでござるんですよ。時間的にも空間的にも無限大のこ
の大宇宙の微々たる一瞬、一点に存在しているこの
"自分"――それがタマラ
ナク不思議に思えてならない瞬間があるのでごわす。思わず知らず

と問いかけてしまうのでございます。

 ご理解いただけまっしゃろかこのキモチ、こひよお姉様?







 以下に述べようとしておりますことは、天上天下唯我独尊の一部の殆ど丸
写しでございますが、しばしの間ご辛抱願いまする。



外の世界があるから自分が在る

のではなく


から外の世界がある

と考えてみればどうでございましょうや?

其角の句でいえば芭蕉の視点に立つのでござる

岩鼻に座しているのは他者でなく"自分"とみるのでござる。

すると


世にも恐るべき超大変化

其角やエッシャーの逆転などソレコソ

蟻さんの逆立ちくらいにしか見えない


が起こるのでございます。


以下は略しますが、できれば本文をお読み願いたい。
また上記だけでは意味の通じにくいところもあろうかと思われますので、できれば
"天上天下唯我独尊"を通してお読みいただきたく願う次第でござりまする。


 こうして行き着いた先は一種の
"悟り"の境地でありまして、これはもう言
葉で表現することなどできませぬよ。それでも敢てそういたそうとイタスな
らば、
味を言葉で形容するのとオンナジことになっちゃいますが、こちら
それを試みておりますれば、よろしければそちらをご覧いただきたい。


ソージュクだったせいか、そういう境地に(稀に、偶に)入れたのは
ナント十代前半から
僅か数年間のことでありました。
雑念に支配されるようになった二十代になって以降
コンニチに至るまでの数十年間というものは
サッパリそういう境地とはご縁がなくなりました
がね。








おことわり
 突然でござるがこひよお姉様、上の文をお読みいただいてお分かりになる
ように、どうもワガハイただ今ヒジョーに脳内が混濁いたしておりまして、
マトモなギロンをテンカイできそうにございませんのや。従いましてハナハ
ダ中途半端ではありますが、今回はこのへんでしばらく筆を休めたいと思う
のでありまするが、ご承知願えますやろか? エッ、

アタシはイッコーに構わないわよ、スキニナサイ。

 ですと。ソレハそれはアリガタキシアワセにござりまする。また近日中に
も再開いたす所存でございますれば、どうぞその時までゴユルリとお休みく
ださいますようお願い申し上げる次第でござりまする。







未稿








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